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王妃アン・ブーリンの華麗な変転の人生

執筆した占い師:多聞先生

更新日:2025年4月3日

皆様、こんにちは。多聞でございます。

今回は、前回のキャサリン・オブ・アラゴンに引き続き、ヘンリー8世の2番目の妃になった女性のアン・ブーリンについて、お話ししたいと思います。

アン・ブーリン
アン・ブーリン
参考画像:Portrait of an unknown Italian Lady, misidentified with Anne Boleyn (c.1501-1536).

皆様もアン・ブーリンのことは、ご存じの方も多いと思います。6人の妃の中では、一番愛されながら、最後は処刑されるという運命となりました。

アン・ブーリンは、プライドが高く、感受性が豊かで、頭も良く、男心を操るテクニックに長けていました。

ヘンリー8世は、彼女の魅力のとりこになり、結婚を決意しました。しかし、男子の後継者を産めなかったことから、彼の愛は急激に冷えてしまい、アン・ブーリンの悲劇につながりました。

それでは、彼女の生い立ちから始めましょう。

アン・ブーリンの生い立ち

アン・ブーリンが生まれたのは、1502年頃と言われています。

アンには、メアリーという姉妹がいます。どちらが、姉で妹かという議論がありますが、ここでは、メアリーを姉として話を進めさせていただきます。

父親はサー・トマス・ブーリンで、母親はエリザベス・ハワードという名門の家系に生まれた女性でした。アンは、6人兄妹のうちの1人です。

アン・ブーリンは、小さいころから音楽の才能があり、芸術的なセンスに溢れていました。語学も得意で、イタリア語、フランス語などを習得しました。

姉のメアリー・ブーリンは、ふっくらした顔立ち、青い瞳、明るいブロンド、どれをとっても美人の特徴を全て持っていました。

メアリー・ブーリン
メアリー・ブーリン
参考画像:Mary Boleyn

それに比べるとアン・ブーリンは、痩せており、あまり美人とは言えない容姿をしていたと言われています。そのせいか性格的には、勝ち気で短気、ヒステリー気味なタイプと言われています。

いつも姉ばかり可愛いと褒められるので、妹のアンは、「またお姉さまばかり褒められて腹が立つわ。お絵描きもお歌も、私の方が上手なのに、不公平よ、私は絶対に負けないわ、いつか勝ってやるわ」と心に思っていたかもしれません。

姉のメアリー・ブーリンの出世と晩年

姉のメアリー・ブーリンについて、もう少し詳しくお話し致します。

メアリー・ブーリンは、1499年ごろに生まれました。1514年、ヘンリー8世の妹のメアリー・テューダーが、フランスのルイ12世に嫁いだ際に、メアリー・ブーリンは、アンとともにフランス宮廷に渡りました。

ところが、ルイ12世は、1515年1月1日に崩御しました。フランス王妃だったのは、たったの3か月でした。

ルイ12世 (フランス王)
ルイ12世 (フランス王)
参考画像:Portrait of Louis XII of France, painting in Windsor Castle

その後、メアリー・ブーリンは、1519年に帰国し、キャサリン・オブ・アラゴンの侍女となりました。そして、1520年2月4日にウィリアム・ケアリー(William Carey)という貴族と結婚しました。

しかし、その後、驚いたことに、ヘンリー8世の愛人となりました。確かにメアリー・ブーリンは美人でした。ヘンリー8世は、美人を好んで愛人にしたと言われています。

結婚している女性に声をかけるヘンリー8世に良識というものはなかったのでしょうか。宮廷内では、当然、不倫の噂が広まりました。しかし、強大な権力を持つヘンリー8世に、倫理観は必要無かったのでしょう。

ヘンリー8世 (イングランド王)
ヘンリー8世 (イングランド王)
参考画像:King Henry VIII having a quality time

メアリー本人は、どう思っていたのでしょうか。夫のウィリアムを真剣に愛していたなら、王の誘いも断ったかもしれませんが、当時の結婚は政略結婚が多く、結婚に際して、夫に愛情を持っていたかどうか不明です。

また当時の貴族たちは、王の寵愛を得るために、自身の家族や親族を愛人として差し出すことは、自身の出世や繁栄をもたらす重要な手段でした。

夫のウィリアム・ケアリーにとっても、メアリーが王の愛人となることは、自身の出世に繋がるチャンスであったのです。

その後、ウィリアム・ケアリーは、ヘンリー8世のお気に入りの臣下となり、乗馬、狩猟、馬上槍試合などで、同じ趣味を持つヘンリー8世とは、とても気が合い、彼の出世の糸口となりました。ところが、これから彼の豊かな人生が始まろうとする1528年に重い病気にかかり亡くなりました。

メアリーとウィリアム・ケアリーとの間には、2人の子どもが生まれました。キャサリン・ケアリーヘンリー・ケアリーです。ヘンリー・ケアリーは、ヘンリー8世によく似ていたという記録があります。

ヘンリー・ケアリー
ヘンリー・ケアリー
参考画像:Portrait of Henry Carey, 1st Baron Hunsdon (1526-1596).

彼は、後にエリザベス1世の側近となりました。現在のようにDNA鑑定がない時代ですので、ヘンリー8世の子どもであったかどうか確証はありませんが、とても似ていたことから、側近として重用された可能性が大きいです。

メアリー・ブーリンの2度目の結婚は、禁断の恋愛結婚

1534年、メアリー・ブーリンは、2度目の結婚をしました。相手は、ウィリアム・スタッフォード(William Stafford)という人物でした。

彼は貴族階級の家に生まれましたが、次男でしたので、財産がありませんでした。身分も低く、王宮の兵士でした。彼にとっては、王の愛人であったメアリーは、高嶺の花であり、近づくことも許されない立場でした。

メアリーは、30歳を過ぎて、夫を失った悲しさや王の寵愛に陰りが出てきたことから、寂しい毎日を送っていました。そのような時に、ウィリアムは、まだ若く純粋でした。

彼は優しい言葉で、メアリーを慰めました。

メアリーは、彼の優しさに感動し、2人は恋愛に陥りました。しかし、彼らの恋愛は、メアリーの家族や王宮からも認められるものではありませんでした。彼らの結婚は秘密裏に行われました。

そのため、彼とメアリーは宮廷から追放されました。2人は宮廷を出て、貧乏な生活に耐えました。それでも、夫婦関係は良く、2人の子どもに恵まれました。

メアリーは、1543年7月19日に亡くなりました。穏やかな晩年であったようです。夫のウィリアム・スタッフォードは、その後も生存していたようです。

フランス宮廷内で処世術をみがく

アン・ブーリンは、フランスに残り、1515年にフランス王妃のクロード・ド・フランス(1499~1524)に仕えました。クロード・ド・フランスは、フランス王フランソワ1世の王妃です。

クロード・ド・フランス
クロード・ド・フランス
参考画像:Ce portrait était autrefois considéré comme étant le portrait de Claude de France (1499-1524).

しかし、フランソワ1世との結婚生活は、絶え間ない妊娠と、夫の愛人たちの存在のため、気苦労が多く、1524年に亡くなってしまいました。

王と王妃、そして愛人たちの関係、このことは、アン・ブーリンにとって、最も重要な経験になりました。

王妃は、大勢の侍女や召使に囲まれ、豪華な衣装を身に着け、贅沢な宝石が散りばめられ、アン・ブーリンにとっては夢のような光景を見せつけられました。

強大な権限を持つ王であっても、美しい王妃にうやうやしく言葉をかけ、ご機嫌を伺います。美しさは、力よりも強く、王をも支配する魔力であることを、アン・ブーリンは、目の当たりにしたのです。

しかし、王妃は時々、暗い表情をして、沈んでいます。なぜかと言えば、愛人たちが、王の気を惹き、楽しげに語らい、音楽を楽しみ、ダンスを踊ったりしているからです。

それでも、アン・ブーリンは、王妃に憧れました。悩みの多い王妃でありながらも、王妃という権威、絶対的な存在感は、いくら愛人が王の寵愛を受けたとしても、ゆるぎないものであったからです。

間近に見る王妃の生活は、アン・ブーリンにとって、生きた教科書でした。王の気持ちをどのように惹きつけるか、王妃はどうあらねばならないのか、アンは毎日、ワクワクしながら、対処の仕方を習得できたのです。

負けず嫌いのアン・ブーリンの胸裏には、「私は王妃のように絶対に最高の女になるべきだ」という強固な信念が育ったことでしょう。

フランソワ1世の愛妾たち

フランソワ1世は、多くの愛妾を持ちましたが、彼女たちは宮廷で大きな影響力を持っていました。

その中でも代表的な2人をご紹介いたします。

フランソワーズ・ド・フォワ(1495~1537)
フランソワーズ・ド・フォワ(1495~1537)
参考画像:Françoise de Foix, comtesse de Châteaubriant

フランソワーズ・ド・フォワは、シャトーブリアン伯爵夫人として知られています。ロートレック子爵ジャン・ド・フォワと妻のジャンヌ・デディーの娘として生まれました。

1509年に、フランソワーズは、シャトーブリアン伯爵のジャン・ド・ラヴァルと結婚しました。1518年ごろ、王太子フランソワ1世の愛妾となりました。その結果、フランソワーズの兄弟や親せきの者たちは、次々と高位につくことができました。

その後、10年間、フランソワ1世の愛妾となりましたが、若いアンヌ・ド・ピスルー・デイリーに心を奪われたフランソワ1世は、フランソワーズを遠のけました。1528年、フランソワーズは、シャトーブリアンに戻りました。その後は、夫のジャンと暮らしましたが、フランソワーズは1537年に亡くなりました。

アンヌ・ド・ピスルー・デイリー(1508~1580)
アンヌ・ド・ピスルー・デイリー(1508~1580)
参考画像:Portrait of [:en:Anne de Pisseleu d’Heilly

アンヌ・ド・ピスルー・デイリーは、性格が朗らかで可愛らしく、機転のきく女性でした。彼女は1518年頃から、フランソワ1世が亡くなる1547年まで、彼の寵愛を独占し続けました。

彼女は、知性と美貌を兼ね備え、政治にも深く関与しました。アンヌは、親族を出世させ、莫大な財産を与えるのに自らの権力を行使しました。叔父のアントワーヌ・サンギュインをオルレアン司教、のちには枢機卿にしました。

アン・ブーリンとのアンヌの接点は、1518年から1522年の間になるので、時期的に密接な間柄では無かったかもしれませんが、アンヌとフランソワ1世の関係は、アン・ブーリンに、大きな影響を与えました。

アン・ブーリンの「王妃になるための野望」

フランスの宮廷におけるこれらの女性たちの存在は、アン・ブーリンにとって、生きた手本となりました。宮廷での立ち回り方、男性を魅了する方法、そして、権力を維持するための手段を学ぶことができました。

そして、アン・ブーリンは、「最高の女性、それは王妃、私は王妃になる」という確固たる信念を持つにいたりました。

フランス宮廷での経験は、アン・ブーリンの知性と野心を磨き、後のヘンリー8世との駆け引きにおいて、大きな武器となりました。

アン・ブーリンは、それだけでなく、これらの女性たちから、単に愛妾としての役割だけでなく、政治的な影響力を持つ女性としての生き方を学びました。

アン・ブーリンの貴婦人デビュー

アン・ブーリンがイングランドに帰ったのは、1522年の1月ごろと言われています。イングランドの宮廷では、フランス風の洗練されたアン・ブーリンを羨望のまなざしで迎えました。

3月4日、宮廷では大舞踏会が催されました。ヘンリー8世は、美女たちを物色しました。アン・ブーリン、王の妹のメアリー、叔母のデボン伯爵夫人、その他、主だった貴族の女性たちが集いましたが、やはり、アン・ブーリンが際立って美しく見えました

アン・ブーリンとヘンリー8世の出会い(19世紀画)
アン・ブーリンとヘンリー8世の出会い(19世紀画)
参考画像:Henry VIII’s first interview with Anne Boleyn signed and dated l.l.: D. MACLISE 1835 oil on canvas 132 by 156 cm Exhibited at London, British Institution, 1836, no. 61

アンの容貌は肖像画で見る限り、当時の美人の型には当てはまりませんでした。やせた顔、高い頬骨、とがった顎、胸は小さく、体はやせ型で顔色も良くありません。

では、なぜアン・ブーリンは、美しく見えたのでしょうか。

アン・ブーリンは巧みに自分の欠点を長所に変えるテクニックを持っていました。アン・ブーリンが王宮に現れたとき、洗練されたフランスのファッションや艶やかな身のこなし方で、全ての女性たちを圧倒し、太陽のように輝いて見えました。

アンは、更にヘンリー8世を魅了しました。ウィットに富んだ会話、活発な性格、特に彼女の魅力的な瞳の動きは、妖しくも神秘的でした。

彼女と話す男性は、彼女の魅力に引き込まれ、蟻地獄に落ちる小さな虫のように溶かされてしまうのでした。

愛人関係を拒否・王妃になるための布石

アン・ブーリンの生活は、キャサリン妃の侍女で始まりました。当時、アン・ブーリンは、20代前半、キャサリン妃は36歳ぐらい、ヘンリー8世は、アン・ブーリンの若さに惹きつけられました。

ヘンリー8世は、得意の口説き文句をアンの耳元で囁きました。

おお、なんと美しい、そなたと今宵すごせたら、どんな褒美も望み次第

ヘンリー8世は、他の愛人たちのように、アン・ブーリンを手なずけられると思っていました。

ところが、アン・ブーリンは、ヘンリー8世に、「陛下は、とても嬉しい事をおっしゃってくださいます。でも、私は陛下の品位を汚すわけにはいきません。どうぞ思いとどまるように心よりお願い申し上げます」という意味のことを言いました。

ヘンリー8世は、求愛を断られるのは、初めての経験でした。彼は驚いて、目を丸くしながら、むきになり、再三再四、アンを口説きました。

アン・ブーリンとヘンリー8世
アン・ブーリンとヘンリー8世
参考画像:Double portrait photo made using File:Hans Holbein, the Younger, Around 1497-1543 – Portrait of Henry VIII of England – Google Art Project.jpg and File:AnneBoleynHever. by Dancingtudorqueen is licensed under CC BY-SA 4.0

しかし、アン・ブーリンは、ヘンリー8世がいくら口説いてもなびきませんでした

アンは、心の中で、「冗談じゃないわ、簡単に愛人にはならないわよ」とつぶやきました。そして、さらりと、「結婚後でなければ、体を許す気になれないわ」と言ってのけました。

ヘンリー8世は、「うーん」とうなり声をあげ、アンと結婚しなければ、ベッドをともにすることも、息子を産んでもらうこともできないのか、と思うようになりました。

さすがアン・ブーリン、相手の誘いを断り、逆に男心を燃えさせることに成功しました。

どうしてもなびかせたい男性に対しては、簡単に応じない、ホイホイついていかない、というのも戦術の一つです。リスクはありますが、試してみる価値はありそうです。

ヘンリー8世は、まるで少年のようにアン・ブーリンを求めてやみませんでした。

ヘンリー8世は、1526年ごろ、アン・ブーリンにプロポーズしたと言われています。そして、彼女に素晴らしい宝石や毛皮のプレゼントをしました。こうして、アン・ブーリンは、いつのまにか傲慢で尊大な女性になっていきました。

それでも、アンは思わせぶりを繰り返し、愛人関係を拒否しました。

アンとの結婚と、キャサリンとの離婚

ヘンリー8世は、どうしても男子の摘出子が欲しかったので、アンを王妃にする必要がありました。

しかし、アンとの結婚には、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題を解決しなければなりませんでした。

キャサリン・オブ・アラゴン
キャサリン・オブ・アラゴン
参考画像:Portrait of Catherine of Aragon (1485-1536), first wife of Henry VIII of England (1491-1547).

そして、月日は流れ、1527年の春になりました。アン・ブーリンは26歳になりました。男子の嫡出子を産むには、厳しくなりつつありました。

アンは、手練手管でヘンリー8世の心はつなぎとめてはいるものの年齢を考えなければなりませんでした。

アンは、勝負に出ました。「結婚したいわ、王妃となって子どもを産みたいの」と訴えました。ヘンリー8世も、ついに決断をしました。

ヘンリー8世、キャサリンとの離婚を決意

1528年12月2日、グリニッジ宮殿で、キャサリン妃と過ごしました。この日を最後として、ヘンリー8世は、キャサリン妃に会うためにグリニッジ宮殿を訪れることを止めました。

キャサリン妃は、キンボルトン城で亡くなるまで、ヘンリー8世に会うことはありませんでした。

1532年の春、ヘンリー8世は、キャサリンとの離婚のために議会を招集しました。次に9月1日、ヘンリー8世はウィンザー城で、アン・ブーリンに貴族の称号を与えました。それは、ペンブローク公爵という名誉と伝統のある称号でした。

王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン(19世紀画)
王妃の座を追われるキャサリンと、公衆の面前で愛をささやく国王とアン・ブーリン(19世紀画)
参考画像:The Courtship of Anne Boleyn

アンは、この式の一週間前に、初めて王とベッドをともにしました。記録によれば、アンと王との関係は非常に満足のいくものであったとされています。その結果、アンは、1533年の1月、ついに妊娠しました。この妊娠は公には知らされませんでした。

1533年1月25日、ヘンリー8世とアン・ブーリンの秘密の結婚式が挙行されました。ロンドンのホワイトホールの教会に少数の人々が集められました。

司祭はソクター・ローランド・リーであり、ジョージ・ブラウンの二人でした。アン・ブーリンは6年の歳月を経て、ついにヘンリー8世の妻となりました。

ヘンリー8世は、正式に王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚を無効にし、アン・ブーリンと結婚を有効なものにしたいと考えていました。

しかし、ローマ教皇クレメンス7世はカトリックの教義に基づき、離婚を許可しませんでした。キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚は、特別に許可をだしたものでありました。それを簡単に、無効とすることはできませんでした。

クレメンス7世 (ローマ教皇)
クレメンス7世 (ローマ教皇)
参考画像:El papa Clemente VII, por Sebastiano del Piombo

1533年、業を煮やしたヘンリー8世は、キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚を無効とする一方的な通告をしました。

そして、ヘンリー8世は、お気に入りのカンタベリー大司教のトマス・クランマーに結婚の無効を宣言させました。

ヘンリー8世の便利屋・トマス・クランマー

このトマス・クランマーもなかなかの悪です。

貧乏な家庭に生まれましたが、頭が良く、14歳でケンブリッジ大学に入学しました。

トマス・クランマー
トマス・クランマー
参考画像:Portrait of Thomas Cranmer

21歳で酒場の女性を妊娠させ周囲の非難を浴びました。その後、大学教授となり、ヘンリー8世から離婚問題の相談を受け、王に有利な進言をしました。

王に気に入られスペインのカール5世付きの大使になりましたが、教会法を破り、神学者の姪と再婚してスキャンダルとなりました。

その後もヘンリー8世に取り入り、お気に入りになります。

アン・ブーリンともプロテスタントの思想が近く、キャサリンとの離婚問題では「結婚の無効」を進言し、アンとの結婚に承認を与え、出世ができました。ヘンリー8世にとっては、便利な存在となりました。

キャサリンとの婚姻を無効とし、アンの戴冠式へ

キャサリン・オブ・アラゴンは、ヘンリーの兄のアーサーと結婚しましたが、その後、アーサーが急逝したため、ヘンリーと結婚することになりました。

しかし、ヘンリーと結婚するためには、旧約聖書の「レビ記」に抵触するのではないかという問題がありました。

簡単に言うと、「兄弟の嫁を娶ってはいけない」という条項がありました。

ヘンリー8世は、1509年にキャサリン・オブ・アラゴンと結婚しました。その時、問題となったのは兄のアーサーとキャサリンの夫婦関係でした。

アーサー・テューダー
アーサー・テューダー
参考画像:Depicted person: Arthur Tudor (1486-1502), Prince of Wales was the first son of King Henry VII of England and Elizabeth of York. This portrait is regarded as the only surviving contemporary portrait of the sitter.

ヘンリー8世は、キャサリンとの結婚を成立させるために、無理やりアーサーとキャサリンは何もなかったと主張しました。

ローマ教会は、特別にヘンリー8世とキャサリンの結婚の許可を与えました。ところが、今度はヘンリー8世が、この結婚は無効だと主張したのでした。ローマ教会が承認を与えるはずはありませんでした。

ヘンリー8世は、独自にアン王妃の戴冠式への手続きを進めました。1533年6月、ウエストミンスター大寺院で、アン・ブーリンの戴冠式を行いました。

しかし、ロンドン市民は、キャサリンを慕っていましたので、アン・ブーリンの戴冠式に関しては、祝福する人がほとんどいませんでした

エリザベス(1世)の誕生

1533年9月7日、アンはグリニッチ宮殿で出産しました。男子の誕生とばかり思っていた赤ん坊は、女児でした。その子はエリザベスと命名されました。

女児が生まれたことで、余程がっかりしたのでしょう。エリザベスの洗礼式には、王も王妃でさえも出席しませんでした。エリザベスは、ハットフィールド宮殿で乳母によって育てられました。

1546年ごろのエリザベス
1546年ごろのエリザベス
参考画像:Elizabeth I when a Princess

キャサリン・オブ・アラゴンが生んだメアリーは、エリザベスの腹違いの姉となりますが、当時、17歳となりましたが、なんと彼女はエリザベスの侍女として命令されました。

しかし、メアリーは、「妹としては認めるが、王女としては認めない」と突っぱねました。勝手なヘンリー8世の仕打ちに、内心腹が煮えくり返るほど、悔しかっただろうと思います。

彼女は、ヘンリー8世に遠ざけられた母親のキャサリン・オブ・アラゴンの寂しさや惨めさに同情し、「可哀そうなお母さま、それに私まで侍女になれと言うのですか、そんなことは許されません」と、アン・ブーリンやエリザベスに憎悪の念を抱き続けました。

男児の流産

その後、1536年1月、アンは男児を流産しました。ヘンリー8世の落胆はさらに大きく、怒りさえもしました。しかし、その原因は、ヘンリー8世の浮気でした。

女官のジェーン・シーモアとヘンリー8世が、睦あっていたところをアンが目撃してしまったからです。

ジェーン・シーモア
ジェーン・シーモア
参考画像:“Jane Seymour” (1536-1537); Kunsthistorisches Museum, Vienna

気性の激しいアンは、逆上し、ヒステリーを起こした結果、流産となってしまいました。6年近く、ヘンリー8世の心をつなぎとめてきたアン・ブーリンにとって、晴天の霹靂ともいうべき事件でした。

しかもヘンリー8世は、アンに腹いせに、「私の子どもは産まなくてよい」と言ってのけたのですから、アンは、子どもを失っただけでなく、夫まで取られた悔しさに嘆き悲しみました。アンは、ヘンリー8世にとって、お払い箱も同然となりました。

クロムウェルとの確執と暗転

アン・ブーリンの運命の鍵を握っていた人間として、クロムウェルが挙げられます。

トマス・クロムウェル
トマス・クロムウェル
参考画像:Portrait of Thomas Cromwell

彼は貴族の生まれでもなく、ロンドンの鍛冶屋の息子として生まれましたが、宰相の地位まで上りました。

若いころにイタリア(フィレンツェ)やフランス、オランダに渡り、商人や銀行家の下で働き、法律・経済・語学の知識を身につけました。イングランドに帰ってからは、法律家として成功しました。

1510年代、彼は枢密顧問のトマス・ウルジーの秘書となりました。トマス・ウルジーはカトリックの枢機卿であり、ヘンリー8世の側近でした。ウルジーが、1529年に、失脚し亡くなった後、クロムウェルは、ヘンリー8世の側近となりました。

クロムウェルの活躍とアン・ブーリンとの対立

ヘンリー8世とキャサリン王妃の離婚問題について、ローマ教会と膠着状態になり、クロムウェルは、ローマ教会と手を切ることを進言しました。

ヘンリー8世も承諾し、クロムウェルは「イングランド国王が教会の最高権威である」とする政策を打ち出しました。

1534年の国王至上法(Act of Supremacy)を成立させ、ヘンリー8世をカトリック教会から独立させました。

これにより、ヘンリー8世はローマ教皇の許可なしに離婚・再婚ができるようになりました。

アン・ブーリンとクロムウェルの対立点

①宗教政策と修道院の財産処分をめぐる対立

クロムウェルは、1536年から、修道院の解散を推し進め、その財産を王室の収入源にしました。修道院の財産は莫大で、ヘンリー8世の財政を大きく改善しました。

アン・ブーリンは熱心な宗教改革支持者であり、フランス系のプロテスタント思想(エヴァンジェリカル派)に影響を受けていました。彼女は修道院の財産を国家ではなく慈善活動や教育のために使うべきだと考えていました。

② アン・ブーリンとクロムウェルの政治的主導権争い

アン・ブーリンは国王の寵愛を受けることで権力を握っていましたが、クロムウェルもまた宮廷内で影響力を強めつつありました。

アン・ブーリンとトマス・クロムウェルの対立は、宗教改革や修道院解体を巡る意見の相違が背景にありました。

アンは修道院の財産を教育や慈善活動に使うべきだと主張し、クロムウェルの政策に反発していました。この対立は宮廷内でも広く知られており、アンがクロムウェルに対して敵意を抱いていたことは確かです。

逸話として、神聖ローマ帝国の大使シャピュイがクロムウェルに「王妃はあなたの首が飛ぶところを見たいと言っている」と警告したという記録があります。

クロムウェルは王の側近として実務を取り仕切っていましたが、アンの影響力が強すぎることを警戒していました。

特に外交政策において、アンはフランス寄りの立場を取り、クロムウェルは神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)との協調を模索していました。この外交方針の違いも対立を深める原因となりました。

対立の激化とヘンリー8世の極秘命令?

アン・ブーリンとクロムウェルの対立が明確に表面化し、2人の関係は1535年から急速に悪化し、1536年には敵対的になっていました。

この経緯に至る前に、ヘンリー8世が、クロムウェルを呼び寄せ、他の延臣や女官に聞こえないように、耳打ちしたのではないかと言われています。(下記のセリフは私の想像です)

「良いか、クロムウェル。アン王妃は離婚に応じないだろう。私はジェーン・シーモアと結婚し、一日も早く王子の顔が見たいのだ。アンは、キャサリンと違って、大人しく我慢するタイプではない。離婚を通告しても騒ぐに決まっている。アンを黙らす方法を考えて欲しい」

クロムウェルは、ヘンリー8世の意向をくんで、アンを排除するための策略を練りました。

アン・ブーリン、急転直下、転落の人生

アンの流産を思うにつけて、ヘンリー8世は、旧約聖書の「レビ記」を思い起こし、自分は呪われているのではないかと思うようになりました。

彼は、アンの姉のメアリーを愛人としていたことから、姉妹を嫁にしたことは、神の眼から見ると罪になるのではないかと考えたのでした。

ヘンリー8世は、新しい愛人を求め、ジェーン・シーモアに心を寄せました。彼女は、どちらかというと地味な女性でした。なぜ彼女が気に入られたかといえば、アン・ブーリンとは正反対の性格だったからです。

クロムウェルの讒言と策略

ヘンリー8世に冷たくされたアン・ブーリンは、冷静さを失い、ますます過激な行動が目立つようになりました。

その結果、アンは王妃として多くの敵を作ってしまいました。特にカトリック派や、前王妃キャサリン・オブ・アラゴンの支持者たちはアンを敵視していました。

一方、クロムウェルは、アン・ブーリンに対して、有りもしない罪をでっち上げ、ヘンリー8世に讒言しました。

「陛下、アン王妃は、反逆罪に値する重大な罪を犯しています。世継ぎを産めなかった絶望感から、不倫までしているのでございます。そして、自分を守るために陛下の殺害を企てているのでございます」

ヘンリー8世は、それを聞いて、ただ頷くだけでした。直接、彼の判断をいうのを憚り、クロムウェルには、適切な処置をするように指示を与えました。

その結果、1536年、アン・ブーリンは「不貞と反逆」の罪で逮捕されました。具体的には、アンが弟のジョージ・ブーリン(ノーフォーク公)を含む複数の男性(5人)と姦通関係を持ち、国王の暗殺を企てたとされました。

アン・ブーリンの逮捕の様子を描いた絵画
アン・ブーリンの逮捕の様子を描いた絵画
参考画像:Wynfield, David Wilkie; The Arrest of Anne Boleyn at Greenwich; Royal Armouries at the Tower of London

これらの罪はクロムウェルが主導したもので、証拠も不確実なものでした。

1536年5月2日、アン王妃は、捕らえられロンドン塔に幽閉されてしまいました。この時、アン王妃の兄をはじめ、4人の延臣が逮捕されました。

アン王妃は、自分の罪状について、「私は、不倫をしたという疑いで告訴されたと聞いていますが、まったくの無実です」と言いました。

捏造の罪による裁判そして処刑

1536年5月10日、アン王妃に関する裁判が開始されました。

裁判は、アンを初めから有罪とするもので、アンには反論することは許されませんでした。

5月15日、王妃姦通の裁判が行われました。裁判長は、アン王妃の叔父のトマス・ハワードが指名されました。彼は、アンの母親の兄弟であり、第3代ノーフォーク公爵でした。

トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)
トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)
参考画像:Thomas Howard, third Duke of Norfolk by Hans Holbein the Younger

陪審判事も、アン・ブーリンの関係者が並びました。なんとも残酷な裁判のやり方です。「有罪」しか言えない状況で、近い親族に身内の人間を裁かせるクロムウェルの残酷性が表れています。

このように、アン・ブーリンの裁判では、彼女の関係者、特に叔父のトマス・ハワード(第3代ノーフォーク公爵)が裁判長を務めたことは、彼女を孤立させる効果を持ちました。

クロムウェルは卑劣な手段で、彼女の家族や親しい人々が彼女を支えることを難しくし、逆に彼女に対する告発を正当化するための手段として利用しました。

起訴状が読み上げられると、驚いたことに、新たな罪状として、キャサリン王妃と娘のメアリーに毒をもったという疑いまで加えられていました。

ついに裁判長が判決を読み上げました。「王の思し召しによって、ロンドン塔内にあるタワーグリーンで火あぶりの刑が適用される」という残酷な刑罰が伝えられました。

アン王妃は、判決の後は、ロンドン塔の中にある「中尉の家」に滞在しました。この家は、後に「王妃の家」として知られるようになりました。

ロンドン塔のアン(19世紀画)
ロンドン塔のアン(19世紀画)
参考画像:Anne de Boleyn à la Tour de Londres, dans les premiers moments de son arrestation

ヘンリー8世は、アン王妃の毅然とした態度を聞いて、「彼女は頑丈な心臓をしている。しかし、報いは受けるべきだ」と言い、祝杯をあげたというから、あきれてしまいます。

しかし、そうは言うものの「火あぶり」は、残酷すぎると思ったのか、「斬首の刑」に変更しました。

しかも、ヘンリー8世は、フランスに使者を出し、斬首の名人を呼び寄せました。そうと知らないアン王妃は、窓から処刑台が組み立てられるのを眺めていました。

1536年5月19日午前9時、ドアがノックされ、刑吏が「時間でございます」と言いに来ました。

アン王妃は、「準備はできております」と静かに答えました。

アン・ブーリンが見せた最後の剛毅なプライド

アン王妃は、女官たちと処刑台に進みました。

彼女は、グレーのローブ、真紅の長い上着、肩には白いケープをかけていました。

最後の演説が終わると、アン王妃は、死刑執行人に賃金を支払いました。ブロックの前にひざまずき、目隠しをしました。

アン王妃は、「主よ、哀れみを、イエス様、私の命をお受け取りください」と祈りました。その瞬間、斧は振り下ろされました。

アン女王の処刑の様子を描いたスケッチ
アン女王の処刑の様子を描いたスケッチ
参考画像:Anne-boleyn-execution

タワーの大砲が鳴り響きました。その音を聞いて、ヘンリー8世は、処刑が行われたことを知ることができました。

立ち会った女官たちは、切り落とされた首の目が開き、口が動いたことを見ることができました。

女官たちは、王妃が勇敢に死んでいったと、ヘンリー8世に報告しました。その10日後、ヘンリー8世は、第3の王妃のジェーン・シーモアと結婚しました。

しかし、ジェーン・シーモアは、エドワード6世を産んだ後、まもなく亡くなってしまいました。

その後のクロムウェルの悲劇

ジェーン・シーモアが亡くなったので、次の王妃を探そうと、クロムウェルは、ドイツまで行き、アン・オブ・クレーブズを探し出しました。

しかし、ヘンリー8世は、彼女との結婚はあまり気が進みませんでした。ヘンリー8世は、美女を好んだからです。アン・オブ・クレーブズは、残念ながら、美女ではありませんでした。

1540年、クロムウェルは王の意に反してアン・オブ・クレーブズとの結婚を推し進めました。

ヘンリー8世はこの結婚に不満を持ち、クロムウェルを見限りました。クロムウェルは反対派の貴族たち(特にノーフォーク公)によって逮捕され、1540年7月に処刑されました。

ヘンリー8世は、その後も結婚を繰り返します。次回は、アン・オブ・クレーブズ、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーについてお話し致したいと思います。

▼多聞先生の前回の記事はこちら▼

キャサリン・オブ・アラゴンの悲劇の生涯

▼多聞先生のインタビューはこちら▼

「多聞先生」ってどんな人?電話占い絆所属の占い師に直接インタビュー!

このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。

多聞先生たもん

鑑定歴 20年以上
得意な占術 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占
実績 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。
抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。
タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。
2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。
得意な相談内容 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢

多聞先生よりご挨拶

コラムを最後までご覧頂き有難うございます。

アン・ブーリンの話は如何でしたでしょうか。

彼女は、どちらかというと、現代の感じ方や考え方に近い女性ではないかと思います。常に自分の思うままに物事を進めようとして失敗してしまいましたが、処刑に臨んでも乱れることなく、毅然として受け入れた態度は、男性でも難しいことではないかと思います。

人生は紆余曲折、順風満帆とはいかないのが、悩みの種ではないでしょうか。思ったようにいかない、なにかと苦難が付きまとい、なかなか幸せに至ることが少ない世の中ですが、そのような状況でも、少しでも未来に明るい希望を持っていただけるように絆は努めてまいります。

是非、絆にお電話をおかけ下さいませ。

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お客様から頂いた口コミ

女性50代

先程はありがとうございました。彼の性格がとても当たっていたので、ずっと「そうなんです!」と頷きっぱなしでした(笑)

長期戦になりそうですが、今の距離を保ちつつ気長に頑張ります!

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占い師からの応援メッセージ

  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月13日 01:35

    2月13日は大きな星の動きがあります。約2年半続いた『葛藤の季節』が終わり、新しいステージの幕開けです。エネルギーが軽やかになっていきます。重かった腰を上げ、あなたが本当に進むべき道へ恐れず進んでいけるチャンスです。特に2年半の影響を受けてきて、なかなか前に進めない、トラブルばかりとなかなかトンネルから脱け出せない状態でいらっしゃった方は、これからトンネルから脱け出して、運気が上昇していきます。人によっては想像もしないギフトを受け取る方も❗
    もう大丈夫です。よく辛抱しましたね。
    何も問題なく進まれていた方も、エネルギーが軽やかになるためにいつも以上にエネルギッシュに動けて更なる運気向上していきますよ❗
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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月12日 12:28

    こんにちは👋😃
    今日のメッセージです。
    熱意と自信を持ち行動すれば、思い通りの1日になりそうです。
    自信を持って強い意志で物事を進めてくださいね。きっとこれまでの努力が認められ成果を手にすることができます❗
    素晴らしいエネルギーに満ちた1日ですから、自分を信じて前進してくださいね。
    恋愛では、自分の気持ちを素直に伝えることで関係が進展していきますよ。
    今日の日が皆様にとって忘れられない1日でありますように🎵
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  • 初音 さんのプロフィール写真

    初音 先生

    2026年2月11日 18:33

    こんにちは
    いつも有難う御座います。
    だんだん日の入りが遅くなってきましたね。
    西の空も
    火星、太陽、金星、水星、土星、海王星が
    並んで入っていきました。
    御神仏様からは、
    「どの選択をしても
    自由です。
    幸せとならねばなりません。
    神は、このようにしなさい。
    こちらが良い、悪いは、言いません。
    皆の心次第。人生です。
    あなたがたの人生です。
    人は、人。
    自分は、自分。
    自立です。
    境界線あるのです。
    好きに、好きにすればよきことですが、
    自分の周りの人をしあわせにして下さることは、
    素晴らしいことです。
    神のよろこびです。」
    このようなメッセージが降りていました。
    本日も
    皆様に
    善きこと
    美しきことが
    いっぱい
    降り注ぎますよう  (祈り)
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  • ロレーヌ さんのプロフィール写真

    ロレーヌ 先生

    2026年2月11日 13:04

    「デビュー2年御礼とインナーチャイルドカード」
    ロレーヌです🌹

    本日絆でデビュー2年となりました⭐️
    デビューからこの2年間ご縁を頂きましたお客様方、本当にありがとうございました✨
    2年にあたりまして、新しい占術を追加致しました。「インナーチャイルドカード」長く探求してきたインナーチャイルドです。
    日本では「三つ子の魂百まで」という言葉で表される事でしょうか。詳しくはプロフィールを追加しておりますので是非ご覧になって下さいね。
    🌹写真はインナーチャイルドカードの始まり「赤ずきん」のカードです。
    今から人生と言う冒険が始まるようです。
    赤ずきんちゃんは冒険の道のりは1人でお婆さんに食べられてしまいました。冒険は、桃太郎におともした犬猿キジのように味方が必要です。中でもキジは飛べるので先に様子を見に行き危険を察知します。ロレーヌがいつでも貴女のおとものキジになりますね💜

    そうそう、赤ずきんちゃんはちゃんと漁師にお婆さんのお腹の中からの出して貰ったようですよ。

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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月11日 12:08

    こんにちは✨😃❗
    今日のメッセージです。
    宇宙エネルギーは、物事が力強く動き出すエネルギーがあふれています。
    自信に溢れて、周囲を引き付けるカリスマ性が高まります。目標に向かい迷わず突き進むことで、大きな成果を掴めるチャンスです。
    ラッキーアクションは自分がどうしたいかを明確に宣言し、自らが先頭に立って行動を開始してくださいね。
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  • カレン愛深 さんのプロフィール写真

    カレン愛深 先生

    2026年2月11日 11:39

    皆さん、Guten Tag!カレン愛深です。

    やはり真冬の選挙、今後はちょっと考えていただきたいものだなと。(笑)特に雪国の有権者の皆さん、投票に行くのが大変ですから。期日前投票が設けられているのが、まだしも救いではありますけど。投票所に詰める担当者の方々も、また大変ですし。
    まあ、高市総理がホッとする結果となり、それは良かったのですけどね。
    結果を受け、早速世界のの各首脳から祝福のメッセージが届いたのには、ちょっと驚きましたが。(さすがに中国だけは、渋い顔???)アメリカ、トランプ大統領からは、これまた来米の招聘があったようで。今度は高市総理が、トランプタワーを訪れる?2年間期限付きの食品に対する消費税据え置きはどうなる?
    自身の政策に自信満々といった雰囲気のの高市総理。国民の真意が改めて出たところで、本領発揮はこれからでしょうか。お手並み拝見も、これから?

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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月10日 12:19

    こんにちは✨😃❗
    寒いですね。
    今日のメッセージです。
    今後への期待の増大チャンス到来、円満な人間関係や利益、成功への大きなチャンスに巡りあえる、より多いな利益や満足に向けて流れが到来しています。協力者が増えていくことも告げています。
    このチャンスを掴むには
    ガチガチに固めたこだわりを一同緩める
    頑固さや現実維持への執着は裏目に出る可能性があるため、完璧主義を捨て柔軟に流れに身を任せる。損得勘定を捨てる
    行動アクションとしては、いつもと違うルートで移動したり普段選ばない選択を1つしてみたりす。
    お金や成果以外の、自分の喜びに時間を使う。
    ○こだわりを捨てて身軽になることで大きな波に軽やかに乗りこなせるようになりますよ。
    ワクワク楽しいの1日を過ごしてくださいね✨
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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月9日 09:29

    おはようございます。
    寒いですね。
    今日のメッセージです。
    これまで尽力してきたことが安定し形になる時です。当たり前の環境や関係性のなかに、じっと幸せを見つけられ、とても満たされた1日になりますよ😃
    安心して過ごせる今を大切にし感謝。特別なことや出来事より、日常の温かさや幸せに目を向けることで開運していきます。
    寒いですが、暖かくされ過ごされてくださいね。
    先生の応援メッセージを全て見る
  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月8日 17:07

    こんにちは👋😃
    皆様は投票に行かれましたか?私は昼過ぎに投票をしに行きました。
    誰に投票したかは秘密㊙️ですが、これからの日本が豊かで優しい日本になってほしいですね😃
    今日のメッセージです。
    守るべきものを守り、豊かさを分かち合うことで、良い流れにのっていきます!
    ラッキーアクション
    今夜は家族や仲間と楽しくお食事
    素敵な時間を過ごされてくださいね。
    先生の応援メッセージを全て見る
  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月6日 11:31

    今日のメッセージ
    ★多くの選択肢と向き合い、大切なものを見極める
    やりたいことやアイデアが次々と溢れて、目移りしやすい日。今は無理に1つにしぼろうとしないで、じっくり吟味する日にしてくださいね。
    今日の開運の鍵
    優先順位をつける
    夢を現実にするための具体的なアクションを1つ決めてみる
    〇今の悩みや迷っていることについて『どの選択肢がワクワクするか』『具体的にどんな悩みか』をじっくり向き合われてみてくださいね。
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  • 堂園 りま さんのプロフィール写真

    堂園 りま 先生

    2026年2月6日 04:55

    2/3節分を過ぎ、占い視点での新年を迎えたばかり、
    いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
    友人宅の猫さんに神田明神の御守りを届けました。
    可愛いデザイン・護られますように
    ◇堂園りま◇
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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月5日 10:43

    今日のメッセージ
    今日は少し空回りしそうなので、焦らず勢いだけで行動は控えたほうが良さそうです。
    勢いで動くと焦りが出てしまい、ミスがふえたりしそうです。
    そうならないためにも、今日は準備の日だと割りきり、焦らないでゆったりした気持ちが空回りを回避できていきます❗
    今日の開運行動
    カバンの中の整理整頓
    何か伝えたいときは、深呼吸してから
    情報の断捨離
    白湯やミネラルウォーターを飲み体の中をクリアに
    今日は急がば回れです。焦らずどっしりかまえてくださいね。
    今日も奇跡な1日でありますように✨

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  • 萩原八雲 さんのプロフィール写真

    萩原八雲 先生

    2026年2月4日 23:39

    本日は立春。二十四節気の最初の節気であり、暦の上では春の始まりです。
    東洋の占いでは立春が基準で、新年の占いも本日から始まります。
     
    いまの運気の流れを知り、これからの一年をどのように整えていくかを見つめることで、日々の選択や心の在り方は少しずつ変わっていきます。

    立春の今日は、一年の流れを読み解く節目の日です。占いを通して現状を確認し、この一年をより良い方向へ進めるきっかけにしてみませんか。

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  • 初音 さんのプロフィール写真

    初音 先生

    2026年2月4日 10:35

    こんにちは^^
    いつも有難う御座います。
    節分
    立春
    そして、天王星逆光が2月4日に終わります。
    素晴らしい年になるよう
    皆様の
    幸せ、健康
    最高の人生になるよう
    願いが叶うよう
    今朝の
    朝日に
    お祈りさせて頂きました。

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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月4日 08:18

    今日は立春ですね。
    立春おめでとうございます。
    今日から暦の上では2026年新しいスタートです。今日は開運アクションとしては、玄関を掃除したり、新しいものを使い始めたり、お水をしっかり飲みエネルギー循環をしてくださいね。
    今日のメッセージ
    まだ寒さが続いてますが、春の訪れとともに周囲を優しく包み込むような余裕を持って過ごすことで良い始まりに❗焦らずゆったりした気持ちが今日の開運の鍵になります。
    今日という日が、皆様にとって素晴らしい満たされた1日でありますように✨
    先生の応援メッセージを全て見る
  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月3日 09:20

    節分ですね。
    神社等では節分祭が行われます。
    お時間がある方は、福をもらいに行かれてみてくださいね。開催される時間は地域の神社によりちがうと思いますので、確認して行かれてくださいね😃
    今日のメッセージです。
    今日は無駄なエネルギーを使わないで、調和を大切に。無理に動かないで、抱え込まないで自分自身の心の平穏を優先にしてくださいね。
    人間関係においても、自分の意見を通すことを必死になりすぎると、周囲との信頼関係を損なう可能性があります。今日は論破ではなく歩み寄りを意識され謙虚な姿勢でいることがトラブルを回避できますよ。負けるが勝ち姿勢が必要な時です。
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  • カレン愛深 さんのプロフィール写真

    カレン愛深 先生

    2026年2月3日 09:15

    皆さん、GutenTag!カレン愛深です。

    さて、さる2月8日、衆議院選挙ですが。こうした選挙でよく”ついでに”行われる、最高裁判所裁判官の適正審査。いつも思うのですが、これ、必要でしょうか???多くの一般市民には、全くといってよいほどお世話にならない、お目にかかることのない、裁判官の皆さん。適正かどうか問われても、困るというのが本音です。
    ましてや今回は急に選挙が決まったものですから、”ついでの”裁判官審査については、期日前投票開始までに裁判官の名前の印刷が間に合わないという事態。期日前投票に行くなら2月1日以降でないと、投票と裁判官審査が一緒にできないということです。
    なので・・・この、最高裁判所裁判官の適正審査、続けるべきか、今からでも再考しても良いのではないでしょうか?投票用紙の無駄を防ぐためにも・・・

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  • ましろ さんのプロフィール写真

    ましろ 先生

    2026年2月2日 16:14

    今回の獅子座満月は、
    「自分の光を、もう隠さなくていい」という合図です。

    人にどう見られるか
    嫌われないか
    間違っていないか
    そうやって抑えてきた本音や情熱が、もう限界まできています。

    獅子座は「堂々と生きること」「心からの表現」「誇り」を司る星。
    この満月は、
    誰かの期待に応えるための人生ではなく、
    自分の魂が喜ぶ生き方へ戻るタイミングを照らしています。

    無理に強くならなくていい。
    でも、自分を小さく扱うのは今日で終わりにしていい。

    本当はやりたかったこと
    言えなかった気持ち
    我慢してきた想い
    それらを「なかったこと」にしないで。

    この満月は問いかけています。
    「あなたは、自分の人生の主役として生きていますか?」

    今はまだ自信がなくても大丈夫。
    一歩踏み出す覚悟だけで、流れは変わります。

    獅子座満月は、
    あなたの中の“消えなかった火”を
    もう一度、思い出させる光です。

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  • 月乃羽美 さんのプロフィール写真

    月乃羽美 先生

    2026年2月2日 11:33

    今日のメッセージです。
    2026年2月2日は自分らしさの象徴の獅子座の満月スノームーンを迎えています。
    明るく楽観的な態度で過ごすことで、周りとの関係が深まり、成功や幸福を引き寄せやすくなる日です。
    そして、明日は節分ですね。いよいよ2026年の本格的に運気が流れ始めます。
    節分前に断捨離や整理整頓をして、良いエネルギーが循環する準備をされてくださいね。
    特に床拭きをされてくださいね。
    今年の恵方は南南東
    豆まきをして邪気祓い
    恵方巻きを食べて1年の幸せ願い食べてくださいね😃
    今日も寒いですが、素晴らしい奇跡な1日でありますように✨

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  • 初音 さんのプロフィール写真

    初音 先生

    2026年2月2日 01:27

    こんにちは^^
    いつも有難う御座います。
    今日は、朔日詣りに行って
    しばらく御神木さまから
    エネルギーを頂戴してました。
    梅園からの香りが
    漂って、清々しい気持ちになれました。
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