源氏物語の「梅枝」(うめがえ)から後半の笑訳
執筆した占い師:多聞先生
更新日:2024年12月5日
皆様、こんにちは。多聞でございます。
今回は、紫式部の「源氏物語」の「梅枝」(うめがえ)から、最後の帖の「夢浮橋」(ゆめのうきはし)までの笑訳をしたいと思っております。
特に第45帖から第54帖までは、宇治十帖と呼ばれています。「宇治十帖」の内容は、源氏の亡くなった後を描いた物語となっています。
主人公は、源氏の息子の薫大将と孫の匂宮(におうのみや)です。実は薫は源氏の子どもではなく、正妻と別の男性(柏木)との間にできた子どもです。生まれつき体から芳香を放っているので薫と呼ばれました。
匂宮は、今上帝と明石の中宮の間に生まれた皇子です。薫に対抗して、いつも衣に香を焚き込めて良い香を漂わせているので、「匂宮」(におうのみや)と呼ばれました。
物語は、この2人を中心に、大君(おおいきみ)、中君(なかのきみ)、浮舟(うきふね)という3人の美女をめぐる展開となっています。
32帖「梅枝」(うめがえ)から41帖「幻」(まぼろし)までのあらすじ
さて物語も後半へと進んでいきますが、32帖の梅枝(うめがえ)から41帖の幻(まぼろし)まで、まとめて笑訳いたします。
各帖のポイントを簡単に述べますと、次のようになります。
32帖・梅枝(うめがえ) | 明石の姫君の成人式。 |
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33帖・藤裏葉(ふじのうらは) | 夕霧と雲居雁の結婚。 |
34帖・若菜上(わかなのじょう) | 源氏が女三の宮と結婚。 |
35帖・若菜下(わかなのげ) | 女三の宮と柏木の密通。 |
36帖・柏木(かしわぎ) | 女三の宮が薫を出産。 |
37帖・横笛(よこぶえ) | 柏木の一周忌。夕霧が横笛を受領。 |
38帖・鈴虫(すずむし) | 女三の宮の出家。源氏が六条院に鈴虫を放つ。 |
39帖・夕霧(ゆうぎり) | 夕霧が柏木の妻の落葉の宮に恋をする。 |
40帖・御法(みのり) | 紫の上の死。 |
41帖・幻(まぼろし) | 源氏が出家を決意する。 |
明石の姫君の成人式・薫物合わせ
源氏と明石の君の間に生まれた明石の姫君は、紫の上に引き取られ、11歳となりました。源氏の願いが叶い、13歳の東宮(後の今上帝)との結婚が行われることになりました。
結婚を控えて、明石の姫君のために、六条院にある秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の御殿で盛大な裳着(もぎ)の儀式が行われました。裳着は女性の成人式です。
しかし、母親の明石の君は身分が低かったので御殿には招かれませんでした。娘の晴れ姿を一目見たかったことでしょう。
参考画像:Tosa Mitsunobu – The Plum Tree Branch (Umegae), Illustration to Chapter 32 of the Tale of Genji (Genji monogatari) – 1985.352.32.A – Arthur M. Sackler Museum
源氏は六条院の女性たちに香(こう)の薫物(たきもの)の調合を競わせました。2月になると蛍宮(ほたるのみや)に審判をやらせて、どの薫物が優れているか判定する「薫物合」(たきものあわせ)が行われました。
蛍宮は、桐壺帝の皇子で朱雀帝や源氏の異母弟です。風流人として知られ、「絵合」、「梅枝」などで、審判を務めています。
この帖でも、彼は判定者として参加していますが、女性たちの薫物は、どれも素晴らしく、優劣がつきませんでした。
夕霧と雲居雁との結婚
一方、内大臣(昔の頭中将)の娘の雲居雁(くもいのかり)は、20歳になり美しい娘となりましたが、幼馴染の源氏の息子の夕霧との仲を裂かれて、すっかり元気をなくしてしまいました。内大臣は、親として心を痛める毎日でした。
今も昔も娘を持つ父親の気持ちは共通しているようです。娘に恋人ができると、父親は心配して不機嫌になり、彼らの仲を裂こうとします。
内大臣は、あまりにも娘が悲しむので、可哀そうになり夕霧と雲居雁(くもいのかり)の結婚を許すことにしました。夕霧を自邸の藤の花の宴に招きました。夕霧は真面目な性格なので、じっと我慢していました。
6年ぶりに、夕霧と雲居雁(くもいのかり)は再会し、ついに結ばれました。この時、紫の上が母として付き添いました。夕霧の実の母親は、亡くなった葵の上です。葵の上がなくなった後、紫の上は、夕霧を引き取り、実の息子のように大切に育てました。
紫の上は、源氏が他の女性と関係した結果、生まれた子どもの面倒を見ると言う運命だったようです。そのかわり自分の子どもは生まれませんでした。
参考画像:Tosa Mitsunobu – New Wisteria Leaves (Fuji no Uraba), Illustration to Chapter 33 of the Tale of Genji (Genji monogatari) – 1985.352.33.A – Harvard Art Museums
明石の姫君や夕霧など、源氏の血を受け継ぐ子どもたちを育てるという運命は、ある意味で悲しい思いをしていたかもしれません。
一方、源氏は、異例とも見られる准太上天皇となりました。これには冷泉帝が、実の父親の源氏に対する愛慕の念からの行為とも思えます。
冷泉帝は、自分の出生の秘密を知った時、源氏に譲位をしようとしましたが、源氏は断りました。
冷泉帝は、自分の父親を臣下のまま置くことに、憐憫の情を抑えきれなかったのかもしれません。
内大臣(頭の中将)も太政大臣に出世し、頭の中将も人生で最高の絶頂期を迎えました。
10月に源氏は、冷泉帝と朱雀院(上皇)を六条院に招きました。盛大な宴が催されました。
源氏と太政大臣は、若き日に一緒に「青海波」(せいがいは)を舞ったことをなつかしく思い出しました。
源氏と女三の宮との結婚
准太上天皇になった源氏は、もう浮気心などなくなって落ち着くかと思えば、そうではありませんでした。
朱雀院(上皇)は健康にすぐれず、出家を望むようになりました。しかし、娘の女三の宮(おんなさんのみや)のことが気がかりでなりません。そこで、源氏の妻にすることを決めました。
源氏は、女三の宮とは、親子ほどの年齢差があり、紫の上に対しても何と説明したものか困惑してしまいました。
しかし、最終的に源氏は、女三の宮を正妻としました。女三の宮は、朱雀院(上皇)の娘であり、朱雀院は、源氏の異母兄弟にあたります。源氏の政治的な立場を強化する意味でも、天皇にゆかりのある身分の高い女性を正妻とすることは重要なことでした。
源氏の年齢は、40歳前後、女三の宮は、15歳前後でしたので、両者に恋愛感情が起きるには、年齢的に無理がありました。
女三の宮にしてみれば、いくら源氏がイケメンであろうとも、「オジサン」に見えたことでしょう。少女の女三の宮から源氏を見ると、やはり「オジサン」は恋愛対象にならないわけです。
実際、源氏と女三の宮の関係は上手くいきませんでした。
柏木と女三の宮との密通
柏木は、年齢的に若く、30歳前後ではなかったかと思われます。まだ「オジサン」ではなく、若い青年の初々しさが残るイケメンですので、女三の宮も憧れの人として心の中に恋愛感情が生まれたと思います。
そこで源氏物語では、紫式部が、源氏と女三の宮との結婚関係に、柏木という若い魅力的な男性を出現させ、新しい展開を与えてくれました。
女三の宮と柏木の不倫事件が起きてしまったのです。柏木は、内大臣(頭中将)の息子です。柏木が内大臣の息子でなかったら、罪になるところですが、源氏の政治的立場から言えば、この問題で内大臣との軋轢を避けたかっただろうと思います。
しかし、事実として、源氏の留守中に、内大臣の息子の柏木(かしわぎ)と女三の宮との密通事件があったことは、源氏も複雑な思いを持ちました。
源氏も若い時に、桐壺帝の妃の藤壺と不倫を行いました。その結果、冷泉帝は、源氏の子でありながらも帝位を継いでいます。これは桐壺帝が自分の子として育てたからです。
桐壺帝は源氏に対し、ひと言も「おまえは妃と不倫をしただろう」と責めるような言葉を言いませんでした。
桐壺帝が本当は、源氏の不倫を知っていたのではないかという説もありますが、桐壺帝は亡くなった後でも、あの世から源氏を擁護し守りました。
それに比べると源氏は、いささか人格的に劣ります。ふたりの関係を知り、柏木(かしわぎ)を精神的に追い詰めました。柏木は心の中に葛藤を抱えてしまいました。
この出来事のあと、彼は健康を害し、最終的に彼の死につながることになります。そこまで追い詰めなくても良いのにと思いますが、源氏には、桐壺帝のような寛容さがなかったのでしょう。
その後、女三の宮は、薫を出産しました。薫は柏木にそっくりでした。源氏は複雑な思いで薫を抱いたようです。源氏も女三の宮に嫌われていたのだから、仕方がないと諦めたのではないでしょうか。
ただ、源氏の態度の変化や怒りの念は、周囲の人たちにそれとなく分かってしまったようです。その話を聞いた朱雀院は、女三の宮の不倫を確信しました。
柏木の死、愛用の横笛は夕霧へ
女三の宮の出家を知った柏木は、心労と罪悪感で病気となり、危篤になりました。
見舞いに訪れた夕霧に源氏の許しと妻の落葉の宮(おちばのみや)の後見を頼んで、亡くなってしまいました。
夕霧は、柏木の未亡人である落葉の宮(おちばのみや)を慰めるために何度も訪れました。
落葉の宮は、夕霧の友情に感謝して彼に柏木が愛用していた横笛を贈りました。
夕霧は、訪ねているうちに思慕の情が湧いて、落葉の宮に恋をしてしまいました。夕霧は胸のうちを告白しましたが、亡くなった柏木に思いを残す落葉の宮は受け入れてくれませんでした。
しかし、夕霧は恋情を抑えきれず、強引に落葉の宮と関係を結びました。
源氏の薫に対する複雑な思い
源氏は、薫のために五十日(いか)の祝いをしました。源氏は、「生まれてきた子どもに罪はないからなあ」という複雑な思いを持ちながら、薫を抱き上げました。
現代では、不倫はよくある話ですが、生まれてきた子どもが、夫の立場からすると、「本当に自分の子どもだろうか」と確信が持てない場合、科学的にDNAの検査をすれば、はっきりします。
しかし、もしDNA検査で、自分の子どもでないことが判明した場合、離婚問題に発展する可能性があるので、十分に考えてから検査をした方が良いでしょう。
平安時代に紫式部が、不倫をテーマに小説を書いたことは、当時としては大胆なことであったのではないでしょうか。
彰子や侍女たち、帝も読んだと言われる源氏物語は、貴族の人々にとって驚きの物語だったと思います。
現代の小説やドラマには、不倫の話はよく出てきます。平安時代は、不倫は罪として考えられていました。
紫式部は近代的な女性の感覚を持っていたのかもしれません。現代では、不倫はある意味、恋愛のひとつの形として確立した価値を持っています。
平安時代は、他人の妻に手を出すことは社会的に許されてはいませんでした。貴族などは、遠い地への左遷や降格など、厳しい処置が与えられました。
しかし、偉大な権力を持った藤原道長は、多くの愛人を持ち、その中には他人の妻も含まれていたとされています。そうした事件を源氏物語に反映させていたのかもしれません。
現代でも大富豪やハリウッドの人気俳優が不倫をするのは当たり前というようなニュースが飛び込んできますが、彼らの大半は、女性から訴訟が起きると、多額のお金で解決しているようです。
不倫問題で正妻を怒らせてしまった夕霧
まじめな性格の夕霧は、亡き柏木の妻の落葉の宮に思いを寄せました。しかし、その行動は、正妻の雲居雁(くもいのかり)との離婚騒動を引き起こしました。
夕霧は、落葉の宮を何度も訪れているうちに、彼女のことを好きになってしまいました。夕霧は、彼女に自分の思いを告白しますが、彼女は夕霧を拒否しました。
ふたりが一夜をすごしたことを知った母親の一条御息所(いちじょうのみやすどころ)は、真相を明らかにしようと、落葉の宮を呼び寄せました。
一条御息所は、落葉の宮は内親王であるので、夕霧との仲を認めませんでした。そこで一条御息所は、夕霧に抗議の手紙を書きました。
ところが、その手紙は、夕霧に届かず、妻の雲居雁(くもいのかり)に奪い取られてしまいました。
そうしたことから、夕霧は返事も書けずにいましたので、とうとう一条御息所は、病気が悪化して亡くなってしまいました。
落葉の宮は、自分も後を追って死にたいと思い詰めました。それが叶わないのであれば、出家したいと思いました。
夕霧は、強引に落葉の宮を京に連れ戻し、結婚生活を始めようとしました。落葉の宮が拒否しているにもかかわらず、強引に関係を結びました。
そうした夕霧の無茶苦茶な行動を見て、妻の雲居雁(くもいのかり)は、子どもたちを連れて、実家に帰ってしまいました。夕霧は迎えに行きましたが、相手にされませんでした。
紫の上の死
体調がすぐれない紫の上は、だんだんと衰弱していきました。
紫の上は、出家だけを願うようになりますが、源氏はそれを許しませんでした。
紫の上を見舞うため、明石の中宮が二条院に里帰りしました。紫の上は、中宮の皇子の匂宮に庭の紅梅と桜を大切に育ててほしいと頼みました。匂宮は、紫の上の遺言ととらえ、涙を流しました。
その年の秋、紫の上は、源氏と明石中宮に見守られながら、ついに息をひきとりました。さすがに源氏も紫の上をなくしてしまうと他の女性に気を配る気力もなくしてしまいました。
茫然自失となった源氏は、出家したいという気持ちになっていきました。
いよいよ出家する源氏
紫の上を亡くした源氏は、出家に向けて身辺整理を始めました。
紫の上の手紙などを焼きながら、この時はこうだった、あの時はああだったなど、思い出はつきません。思い出すたびに悲しみがこみ上げてきて涙が止まりませんでした。
年が明けて、源氏も52歳となりました。彼は新年を祝う客が来ても会おうとはしませんでした。
有名な一休さんの言葉に、「正月は冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」という言葉があります。
一休さんは、頭蓋骨を棒の先にくくり付け、町中を歩いたと言われています。
参考画像:Woodblock print: diptych. The Buddhist monk Ikkyu holding a skull before the courtesan Jigoku-dayu.
せっかく新年を祝う人々に対し、がっかりさせるような話ですが、生きている大切さに気付き、死ぬことも当たり前、悲しむことはないという諦めの境地を説いたのではないでしょうか。
そして、源氏は整理が終わると、出家を決意しました。
その年の終わりに、源氏は久々に人々の前に姿を現しました。大晦日、鬼をはらう行事に、はしゃぎまわる匂宮を見守りながら、源氏は俗世の人生は、これで終わりと思いました。
次の帖の「雲隠」は、源氏物語のミステリーです。題名はありますが、本文がありません。
これには、本文が紛失したという説と、後世に誰かが題名だけをつけたという説などがあります。
有力なのは、紫式部が題名だけをつけて、わざと本文を書かなかったことで、源氏の死を暗示したものだという説もあります。
42帖「匂兵部卿」から48帖「早蕨」までのあらすじ
42帖からは、源氏の死後、源氏の子の薫(かおる)と帝の子の匂宮(におうのみや)の話が始まります。薫は実は柏木の子です。
各帖のポイントを簡単に述べますと次の通りです。
42帖・匂兵部卿(におうひょうぶきょう) | 匂宮と薫の登場。 |
---|---|
43帖・紅梅(こうばい) | 頭の中将の次男の紅梅の登場。 |
44帖・竹河(たけかわ) | 玉鬘と娘たちの話。 |
45帖・橋姫(はしひめ) | 薫が八の宮を訪ね侍女から出生の秘密を知る。 |
46帖・椎本(しいがもと) | 薫と大君、匂宮と中の君の恋愛。 |
47帖・総角(あげまき) | 匂宮と中の君の結婚。 |
48帖・早蕨(さわらび) | 匂宮が中の君を二条院に移す。 |
冒頭に「光隠れたまひにし後」(光源氏が亡くなった後)と書かれ、源氏の死から8年後、源氏の子の薫(実は柏木の子)と今上帝の子の匂宮が登場し、物語は進んでいきます。
こうしてみると、源氏物語は、源氏一代の一生だけではなく、子どもの世代までにわたる壮大な長編小説となっています。
宇治十帖とは
45帖から54帖までの十帖を「宇治十帖」と呼んでいます。
これは、宇治を舞台に物語が展開しているからです。
また「宇治十帖」は、文章の長さや言葉の使い方に、もともとの源氏物語とは違う特徴がみられるところから、古くから「花鳥余情」(源氏物語の注釈書)を著した一条兼良などは、作者について、紫式部ではなく、娘の大弐三位(だいにのさんみ)が作者ではないかとする説もあります。
参考画像:Hyakuninisshu 058
「宇治十帖」は、大きく「橋姫」から「早蕨」(さわらび)までの「大君・中君物語」と「宿木」から「夢浮橋」までの「浮舟物語」とに分けられることがあります。
42・匂兵部卿(におうひょうぶきょう)
匂宮は、明るく社交的で紫の上から可愛がられたので二条院に住んでいます。
匂宮の母親の明石中宮(あかしのちゅうぐう)は、宮中に住まわせようとしますが、匂宮は自由気ままな二条院を気に入っていました。
薫は冷泉院(れいぜいいん)と秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)に大事に育てられ、14歳で右近中将に出世しました。
しかし、自分の出生について、本当は源氏の子ではないという疑い(実は柏木の子)を持っており、出家の願望を持つようになりました。
薫は生まれつき芳香を漂わせる体臭を持っていました。それに対し匂宮は、対抗手段として、衣に良い香りを焚き込めていましたので、世間では、二人のことを「匂う兵部卿」とか、「薫る中将」とかと呼んでもてはやしました。
匂宮は、冷泉院の娘の女一の宮(おんないちのみや)を慕っていました。
しかし、薫の方は、女性とのかかわりについては、とても消極的でした。
43・紅梅(こうばい)
この帖では、致仕大臣(ちじのだいじん)の次男の紅梅大納言が主人公になっています。致仕大臣は昔の頭の中将です。
紅梅大納言には、二人の娘がいました。長女の大君と次女の中の君です。
彼は妻を亡くした後、真木柱(まきばしら)と再婚しました。真木柱は、髭黒大将の娘です。
彼女は、源氏の弟の蛍宮(ほたるのみや)と結婚していましたが、蛍宮が亡くなった後は、娘の宮の御方(みやのおんかた)を連れ子として、紅梅大納言と再婚しました。
紅梅大納言は、娘の大君を東宮(皇太子)の妃にすることに成功しました。次女の中の君は、匂宮と結婚させたいと思いました。
しかし、匂宮が興味を示したのは、中の君ではなく、宮の御方でした。
宮の御方は、とても消極的な性格でした。そこで、匂宮から手紙が来ても返事は出しませんでした。
宮の御方の母親である真木柱も、匂宮がたくさんの女性のところに通っている噂を聞いているので、宮の御方と匂宮との結婚はあきらめていました。
44・竹河(たけかわ)
この帖では、玉鬘(たまかずら)が、夫の髭黒大将が若死にしたため、残された三男二女を育てていた話です。
玉鬘は、ふたりの娘・大君と中の君を誰と結婚させようかと迷っていました。ふたりの姫君の求婚者として、今上帝や冷泉院のほか、薫などがいました。
4月になり、玉鬘は大君を冷泉院の妃にしました。数年後、大君は皇子を産みますが周囲からの嫉妬に苦しみ、実家に帰ることにしました。
その後、薫は、中納言となり、玉鬘の所に挨拶に行きました。
玉鬘は、薫に愚痴をこぼしました。大君は冷泉院と結婚しましたが、嫉妬に悩み里帰りしてしまったことや息子らはなかなか出世できずにいることなどを嘆くのでした。
45・橋姫(はしひめ)
薫は、宇治に住む八の宮(桐壺帝の第8皇子)の山荘を訪れました。
八の宮は、源氏の異母弟でもあります。彼は北の方を亡くし、京の屋敷を火災で焼失してしまいました。
悲嘆にくれながら、宇治の山荘に移り住みました。彼に残された二人の娘と暮らしていました。八の宮は、世の無常の儚さを覚え、仏道に励んでいました。出家願望を持った薫は、八の宮と会って話したいと思いました。
薫は、八の宮に会うために宇治を訪ねることにしました。晩秋のある日、薫が宇治を訪ねた時に、八の宮は留守でしたが、美しい姉妹を垣間見て、恋心を覚えました。
薫は、特に長女の大君に心を奪われ、大君に歌を詠んで贈りました。再び山荘を訪れた時、八の宮は薫を歓待し、姫君の将来を託しました。
その時、姫君に仕える侍女の弁から、薫は自らの出生の秘密を聞き、実は薫は柏木の子であることを聞いて驚いてしまいました。
侍女の弁は、柏木の乳母(めのと)の娘だったので、柏木の秘密を知っていたのでした。
薫も自分の出生には、うすうす疑問を持っていたので、やはりそうだったのかという言いようのないやるせなさで胸がいっぱいになりました。
46・椎本(しいがもと)
匂宮は薫から宇治の姫君たちの話を聞き、興味を持ちました。匂宮は姫君たちに会う機会を作るために、宇治に立ち寄りました。
薫は宇治にある夕霧の山荘で、匂宮を歓待しました。そこで、ふたりは、山荘で一泊し、管弦の遊びを催しました。
演奏の音は対岸にある八の宮の山荘まで響きました。八の宮は、都での管弦の宴をなつかしんで、薫に誘いの手紙を書きました。
その手紙の返事を匂宮が書きました。以後何度も手紙のやりとりが続きました。八の宮は、娘の中の君に返事を書かせました。
秋になり、薫は中納言に出世しました。死期がせまった八の宮は娘たちの後見を薫に依頼しました。八の宮は娘たちに遺言をして、山寺にこもると、まもなく亡くなりました。
薫は姉の大君に恋をして、何度も告白しますが、大君は相手にしませんでした。年明けに匂宮に縁談が出ました。
夕霧の娘の六の君との縁談でしたが、匂宮は中の君を好きだったので興味を示しませんでした。
47・総角(あげまき)
八の宮の一周忌を迎え、薫は大君にせまりますが、またもや失敗しました。
大君は生涯独身を貫こうと決心していたからです。そのかわり、薫に妹の中の君と結婚してほしいと頼みました。
薫は、中の君と匂宮と結婚させれば、大君の心も変わるだろうと思いました。
密かに匂宮を宇治に連れて行き、薫だと思わせて、中の君の寝室に導き入れました。
薫は、匂宮と中の君が結ばれたことを大君に言いました。しかし、大君は驚き、そして悲しんで薫を拒否しました。
大君は中の君のために三日夜(みかよ)の餅を用意しました。匂宮は3日間中の君のもとへ通い、結婚を成立させました。
しかし、匂宮は皇子という地位にあるので、簡単に宇治に通うことができませんでした。
10月になり、匂宮は宇治で紅葉狩りを計画しました。そうすれば、中の君に会えると思ったからです。
ところが、明石の中宮が大勢の臣下を同行させたため、抜け出して中の君に会いに行けませんでした。
匂宮が宇治に抜け出したことを知った今上帝は、匂宮に宮中から出ないように命令しました。今上帝は、強引に夕霧の娘の六の宮との縁談を進めました。
噂を聞いた大君は、自分のせいで中の君を不幸にしたと思い込み、病気になってしまいました。薫は、大君を訪ねて看病しますが、亡くなってしまいました。
匂宮も宇治に行きますが、中の君からは冷たくあしらわれました。それでも、なんとか匂宮は、明石の中宮の許可をとりつけて、中の君を二条院に引き取ることを決意しました。
48・早蕨(さわらび)
大君が亡くなってしまい、中の君と匂宮を結婚させた薫は、後悔してしまいました。中の君も姉の大君が亡くなってしまい悲しみが消えませんでした。
宇治山の高僧から山菜が届きました。その中に早蕨(さわらび)が入っていました。早蕨とは、芽を出したばかりの蕨です。春の訪れを告げる山菜です。
中の君は、「この春は、たれにか見せむ、亡き人のかたみに、摘める峰の早蕨」(大君も亡くなってしまったので、今年の春は、誰に見せたら良いかわからない。亡き父の形見として高僧が贈ってくれた早蕨を見ても、ただ悲しくなるだけです)と詠いました。
2月、匂宮は中の君を二条院に引き取りました。
ところが、夕霧は娘の六の宮と匂宮を結婚させたいと思っていましたが、匂宮は、中の君に夢中で縁談に興味を示しませんでした。
次に夕霧は、薫に六の君との結婚をすすめようとしましたが、これも断られてしまいました。
薫は二条院に匂宮を訪ねましたが、本音は中の君に近づこうと思っていました。薫は匂宮と中の君に嫉妬していました。
自ら匂宮と中の君の結婚を画策していたのに、今さら嫉妬するなんて、思い切りの悪いネチネチした性格なのでしょうか。匂宮は、薫が中の君に接近しようとしているのを見て、警戒心を強めました。
49帖・宿木(やどりぎ)から54帖・夢浮橋(ゆめうきはし)までのあらすじ
各帖のポイントを簡単に述べますと次の通りです。
49帖・宿木(やどりぎ) | 匂宮と六の宮との結婚。 |
---|---|
50帖・東屋(あずまや) | 浮舟と薫の恋愛。 |
51帖・浮舟(うきふね) | 浮舟と匂宮との恋愛。 |
52帖・蜻蛉(かげろう) | 浮舟の失踪。 |
53帖・手習(てならい) | 浮舟の出家。 |
54帖・夢浮橋(ゆめのうきはし) | 薫が浮舟を訪ねるが失敗。 |
49・宿木(やどりぎ)
薫は、冷泉帝の次女の女二の宮と結婚することになりました。その噂を聞いた夕霧は、娘の六の君の結婚相手を匂宮にしようと思いました。
匂宮は、二条院で中の君と暮らしていました。しかし、中の君は、六の君との結婚の噂を聞いて不安な思いを抱きました。その不安は的中しました。
匂宮は、六の君に会うと、その美しさにすっかり魅了されてしまいました。彼は夕霧の屋敷に住むようになり、二条院に帰らなくなりました。
一方、薫は大君のことが忘れられず、女二の宮との結婚話には乗り気ではありませんでした。そんな時に、中の君から手紙が届きました。中の君は、薫に宇治に連れて帰ってほしいと頼みました。
薫が帰った後、匂宮は久しぶりに二条院に帰ってきました。妻の中の君からは、薫の移り香が漂っていました。匂宮は、中の君に問い詰めました。匂宮は、薫を警戒し、二条院から出ないようにしました。
それでも、ある夕方、薫は中の君を訪ねました。中の君は、苦し紛れに、亡き父の八の宮の隠し子の浮舟の存在を明かしました。
薫は、浮舟のことが気になりましたが、女二の宮との結婚が決まり、今上帝の命令なので、気のすすまない結婚をしました。
4月、薫は宇治に訪れた時に、偶然、宇治の山荘に泊まりに来た浮舟を見ることができました。
50・東屋(あずまや)
噂通り、浮舟は、大君にそっくりでした。薫は何とかして、浮舟に近づこうとしました。
浮舟の母は、薫との結婚に反対し、別の男性と結婚させようとしましたが、失敗しました。傷心の浮舟は、二条院の中の君に預けられました。
ところが、匂宮に発見され、中の君は浮舟を三条の屋敷に移しました。その噂を聞いた薫は、三条の屋敷に行き、浮舟と関係を結びました。
翌日、薫は浮舟を連れ出し、宇治の山荘に移しました。匂宮は、浮舟の所在がわからず、中の君を問いただしましたが、中の君は言いませんでした。
匂宮は、浮舟のことが忘れられず、その後も探索しました。そして、どうやら宇治に浮舟を隠したことを突き止めました。
51・浮舟(うきふね)、52・蜻蛉(かげろう)
匂宮は、薫の声色を真似て、山荘に忍び込みました。そして浮舟と関係を結びました。浮舟は、匂宮にも魅力を感じ、薫との板挟みに悩みました。
薫は、匂宮と浮舟の関係を知ると、山荘周辺の警備を固めました。匂宮は、浮舟を奪おうとしましたが失敗しました。
三角関係に悩む浮舟は、宇治川に身を投げて死のうと決意しました。
そして宇治の山荘から失踪してしまいました。おそらく入水して死んだのだろうと人々は思いました。遺体は有りませんでしたが葬儀が行われました。
薫も匂宮も浮舟が亡くなってしまったと思い嘆き悲しみました。
ところが、浮舟は入水していませんでした。彼女は山荘を失踪し、山の中をさまよい歩きました。
そして疲れ果てて倒れてしまいました。ちょうど僧都たちがそこへ現れ、浮舟を発見し介抱しました。
僧都に助けられた浮舟は、出家を願って仏道に専念しました。僧都は宮中に出入りを許された高僧であったので、明石の中宮に浮舟の話をしました。
53・手習(てならい)、54・夢浮橋(ゆめのうきはし)
明石の中宮は、薫に浮舟の話をしました。驚いた薫は、さっそく浮舟の弟の小君を連れて浮舟に会おうと思いました。
浮舟を探す薫は比叡山を訪れ横川(よかわ)の僧都に会いました。小野に住んでいる女性について聞きたかったからです。
薫は、僧都から、浮舟が救出され出家した話を聞きました。薫は浮舟に会いたいと思いましたが、浮舟は出家した身なので、心が乱れるのを恐れて会おうとはしませんでした。
薫は、浮舟の弟の小君を使者として浮舟に手紙を持たせました。浮舟は、苦しみましたが、返事を書くことはしませんでした。薫は自分以外に男がいるのではないかと疑いました。
源氏物語は、その後、浮舟と薫がどうなるかという終末を記すことなく、源氏物語が終わります。
▼多聞先生の前回の記事はこちら▼
源氏物語の「薄雲」から「玉鬘十帖」の笑訳
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「多聞先生」ってどんな人?電話占い絆所属の占い師に直接インタビュー!
このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。
多聞先生たもん
鑑定歴 | 20年以上 |
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得意な占術 | 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占 |
実績 | 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。 抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。 タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。 2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。 |
得意な相談内容 | 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢 |
多聞先生よりご挨拶
コラムを最後までご覧頂き有難うございます。
源氏物語は、大変長い小説ですので、最後まで笑訳におつきあい頂き有難うございます。大河ドラマ「光る君へ」の視聴率も好評であったようです。
最後の54帖の「夢浮橋」(ゆめのうきはし)は、今までの物語の展開からすると、なんとなく次の話に繋がるような感じもあり、これでお終いというような完了形の話のようには書かれていません。紫式部の気持ちとしては、55帖に繋がる話を書きたいと思っていたのかもしれません。
全体的には、源氏が出会う多くの女性たちの悲劇的な運命や、その後の薫や匂宮が出会う美女たちの悲劇が続きます。平安時代の貴族の中で、運命に翻弄される多くの女性たちを書き上げることで、紫式部の言いたかったことが、見えてきたような気がします。
人生は紆余曲折、順風満帆とはいかないのが、悩みの種ではないでしょうか。思ったようにいかない、なにかと苦難が付きまとい、なかなか幸せに至ることが少ない世の中ですが、そのような状況でも、少しでも未来に明るい希望を持っていただけるように絆は努めてまいります。
是非、絆にお電話をおかけ下さいませ。
お客様から頂いた口コミ
女性30代
多聞先生、初めての鑑定ありがとうございます!
とても優しい口調で鑑定して頂きました。
好きな人の事で悩んでいて、鑑定して頂きましたが、彼の性格が全て当たっていました。
先生との鑑定中にも彼から連絡が来たり、ビックリです!
鑑定後に、動画なども消してました!
先生に感謝です!
また鑑定お願い致します。