霊の世界は存在するか?守護霊をめぐる不思議体験などを元に解説します
執筆した占い師:多聞先生
更新日:2022年3月22日
皆様、こんにちは。多聞でございます。
このコラムを読まれている方は、精神的な世界にご興味がおありかもしれません。
占いの世界では、「輪廻転生」や「カルマ」、「霊魂」などといった、スピリチュアルな事柄を抜きにしては、運命を読み解くことができません。
そこで、今回は私が体験した不思議な出来事などを交えて、霊の世界について解説していきたいと思います。
科学的に読み解く『魂』の存在
皆様は「霊界」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
美しい音楽、色とりどりの花々、小鳥のさえずり、やわらかい木々の緑、清らかな泉、澄み切った青空の下に広がる緑の草原、遠くに見えるはアルプスを思い起こさせる冠雪の山々、愛情あふれる天使たちとの語らい、そのような世界で永遠の生命を持つことができる毎日…。
いくら最上級の表現を並べても語りつくせないほど素晴らしい世界、それが霊界です。
18世紀の科学者であり神学者でもあったエマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772)は霊界を訪れ、「霊界日記」を書き記しました。彼の見た霊界は、「精霊界」、「天界」、「地獄」です。
最近では、アメリカの脳神経外科医、エベン・アレグサンダー博士が自らの臨死体験を綴った「プルーフ・オブ・ヘヴン」という本も出版されています。
アレグサンダー博士は唯物論的な物質主義者でしたが、「臨死体験」を境に一変し、人間には霊魂があり、死後の世界も存在すると確信した人です。
近年では、魂の存在を科学的に説明しようとする動きもあります。その実例についてこれよりいくつかご紹介します。
実体二元論による『魂』の証明
実体二元論とは、この世界が「物理的実体」と「心的実体」という異なる二つの実体によって構成されているという考え方です。
英国の医師サム・パルニア氏は、この説に基づいて魂の存在を証明しようとしました。
重篤な患者が入院する部屋の天井近くに棚板を吊り上げ、その上に小さな物体を置いたのです。その物体が何であるかを知っているのはパルニア氏だけです。
亡くなった人の魂が肉体を離れて浮かび上がった時、初めて物体の存在を確認する事ができます。
パルニア氏は、同様の手法で100名の患者に対し実験を行いました。そのうち、救急蘇生で生き返った7人が全員、棚板の上に置いてある物体を正しく言い当てたのです。
量子脳理論による『魂』の証明
次に、ケンブリッジ大学の数学者、ロジャー・ベンローズ博士とアリゾナ大学のスチュワート・ハメロフ博士が提唱した量子脳理論の仮説をご紹介します。
ちなみに、ロジャー・ペンローズ博士は2020年ノーベル物理学賞を受賞しており、宇宙物理学の世界的権威とされています。
その仮説とは、「人間の意識は素粒子よりも小さな物質であり、通常は脳内に収まっているが、心肺停止によって体外に放出され、宇宙へと飛散する」というものです。
蘇生した場合、その人の意識は再び脳内に戻ります。臨死体験とは、束の間、宇宙を旅した意識がもたらす記憶なのかもしれません。
では、もし蘇生できなかった場合、人の意識はどこへと向かうのでしょう?
ペンローズ博士は、「意識情報は宇宙にあり続けるか、あるいは別の意識情報と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べています。
いかがでしたでしょうか?まだまだ霊界の全体像は掴めませんが、「この世」と「あの世」を隔てるものはなく、ただ霊魂が体内にあるか、宇宙にあるかという違いのように思えます。
とすると、「あの世」は遠い世界ではなく、同次元的に存在するのかもしれません。
生存競争の世界で邪鬼は笑う
私たちが生活している現世は、生存競争の世界です。強いものが勝ち弱いものは滅びるという弱肉強食の世界です。力のない者は、知恵を使い、なんとか生き延びなければなりません。
ある時、副鼻腔炎を起こしてしまいました。悪化すれば大手術となります。大病院で検査してもらうことになりました。
検査の朝、病院の駐車場に車を置いて、病棟に向かって歩いている時、一人のお年寄りの女性が、私の後ろから勢いよく駆け抜け、あっという間に追い越して行きました。
病棟に入ると、まだ診療開始の30分前でしたが、受付には既に、100名を超える長蛇の列ができていました。
すると、どこからか大きな声で騒いでいる人がいます。
「杖を忘れたー!歩けなーい。並べなーい」
よく見ると、さっきのお年寄りの女性が待合の椅子に座って騒いでいます。
「エッ、杖を忘れた?歩けない?並べない?さっき走って行ったじゃないか」
何故騒いでいるのか不思議に思いましたが、とりあえず様子を見ることにしました。
「どうしたんですか?」騒ぎを聞きつけ、受付の人が飛んできました。
「杖を忘れたので、歩けないし、並べないんですよ」
女性は、いかにも哀れな様子で訴えています。
受付の人は、女性から診察券を預かると機械に入れました。結果的にその女性は、一番の予約券を手に入れることに成功したのです。
「ハハア、上手いことを考えたものだ。歩けない、並べないと騒げば、受付の人が同情して、受付を1番にしてくれることが分かっていたんだな」
正直言って、私はこのお年寄りの女性に呆れてしまいました。手際の良さからして、もしかすると常習犯かもしれません。
世の中を賢く渡るには多少の狡さも必要ですが、これは明らかにやってはいけない事です。
しかし、彼女にとってはそれが当たり前なのか、何食わぬ顔で検査室の前に到着し、名前を呼ばれると自分の脚でしっかりと歩いて入っていきました。
彼女の後姿を見ると、背中に何か背負っています。…あらあら、何とも恐ろしい邪鬼が憑りついているではありませんか。
邪鬼は私の方を振り返り、ウインクをして「ケタ、ケタ、ケタ」と笑ったような気がしました。
「なるほど、邪鬼のせいなのか」と、その時は妙に納得してしまいましたね。
皆様の周りにもこういうずる賢い人がいるかもしれません。ただし、正義感からそういう人たちに対抗する事は避けた方がいいでしょう。邪鬼が憑いている人と争うのは危険です。
我が母の霊と般若心経
病院から帰ってきた後も、邪鬼に憑りつかれた老女の事がしばらく頭から離れず、縁起直しのため、家の近くの神社へとお参りに行く事にしました。
お賽銭を少し多めに奮発して、念入りに神様にお願いをし、期待をこめて「おみくじ」も引きました。
おみくじを開くと、「ご先祖様の霊に感謝せよ」と書いてあります。しかし、我が家には家系図などありません。ご先祖様が誰だか全くわかりません。
不安は消えないまま、家に帰り床に就きましたが、やはり「ご先祖様の霊」が気になり悶々として眠れませんでした。
「ご先祖様の霊と言っても縁のありそうな人はいないなあ…」
そんなことを考えながらウトウトし始めた頃、突然、寝ている枕元に亡き母が現れて、私を睨みつけていたのです。
私は驚いて叫び声を上げそうになりました。
母は大きな声で私に怒鳴り始めます。「何をグズグズしているの、早くこっちの世界へ来なさい!」
「お母さん。他界したはずじゃないの…?」
「お前の様子が見ていられないから出てきたんだよ」
何故だか母は、とても怒っているようです。
「ちょっと待ってよ、お母さん。いろいろやることがあるんだから」
「…わかった。それじゃ、片付いたら早く来なさいよ」
そこでハッと目覚めました。急いで飛び起き部屋中を見渡しましたが、母の姿はもうありません。どうやら夢を見ていたようです。
母はせっかちで気が短い人でした。私が現世でモタモタしているのを見ていられなかったのかもしれません。
今の世の中、楽しい事より辛い事の方が多くて、「死んだ方がマシ」と考える瞬間も正直言って無くはありません。それでも、「早くあの世に来い」と言われると、「はい、わかりました」とは言えないものですね。
気になる夢でしたので、どうしたものか悩みました。そこで、お寺のご住職に相談することにしたのです。
そのご住職は「臨死体験」をされた方で、「綺麗なお花畑を見てきたよ」と、私に以前、語ってくれた事がありました。母の霊について話をしても、きっと真面目に聞いてくれるでしょう。
「ご住職、実はご相談があります」
「はて、どんな事でしょう?」
「実は、亡くなった母が夢に出てきて早くこっちに来いと怒っているのです。」
「…なるほど。きっと、お母様は、あなたのことを心配なさっているのですよ。ご仏壇にお線香をあげて、ご安心くださいと拝めば宜しいのではないでしょうか。」
私はそれから毎朝、仏壇に向かって「般若心経」を読み上げました。「般若心経」は、とても短いお経です。「色即是空」(しきそくぜくう)という言葉をご存じの方もいらっしゃると思います。
仏教の解説書を読むと、この世にある万物は変化の産物であり、実体がないという説明がされています。しかし、その説明だけでは、何のことだかサッパリ分かりません。
生きとし生けるものは、いつか必ず死を迎えます。しかし、それで終わりというわけではありません。霊魂が残り、「輪廻転生」(りんねてんせい)を繰り返します。
その永劫回帰を「色即是空、空即是色」という言葉の繰り返しで表しているのです。
「色」(現世)は「空」(霊界)となり、「空」(霊界)は、「色」(来世)となる。これが輪廻転生(りんねてんせい)の概念です。
数日後、仏壇に飾った母の写真の表情に、なんとなく笑みが浮かんだような気がしました。
その後、私は大病を患う事もありませんでした。どうやら母の怒りは解けたようです。
神社の「おみくじ」に書かれた「先祖の霊」は、ひょっとすると母の霊を意味していたのかもしれません。
霊界の入り口にて祖父と再会
不思議な体験をもう一つご紹介したいと思います。
あの世に行くことは延期になりましたが、「霊界」とはどんな所なのか、どうしても気になって
「寝る前に、少し息を止めてみたら死に近づくんじゃないか」などと馬鹿なことを、ある時ふと考えてしまったのです。
話を進める前に予め注意喚起をさせていただきますが、皆さんは決して真似をしないでください。
呼吸を止めて、1分以上経過したでしょうか。とうとう苦しさに負けて、ハア、ハア、ゼイゼイと大きく息をしました。
臨死体験どころではありません。それに何だか気分が悪い。霊界を見るのは諦め、ウイスキーを胃に流し込んで寝ることにしました。そして、その夜、また不思議な夢を見たのです。
夢の記憶では、私の魂が幽体離脱し、天井近くまで上昇しました。
「ワッ!天井にぶつかるー」
私の魂はフワフワと空中に浮かんでいます。
「いったい、どうなっているんだ?」
すると今度は、どんどん吸い込まれるように流されていきました。私の魂は家から飛び出し、軒先を潜り抜け、屋根の上に浮かんだかと思えば、さらに急上昇していきます。
家の近くにある野原の上空を彷徨っているうちに、思った方向に飛べる事が分かってきました。
鳥のように飛ぶのは、もちろん初めての経験です。最初は怖かったですが、次第に楽しくなってきました。
すると、遠くに見知らぬ建物が見えてきます。何の建物なのか知りたくなり、近づいてみることにしました。
それは、ゴルフ場にあるテラスハウスを思わせるような白い建物でした。広い草原の中にひっそりと佇んでおり、ガラス張りの玄関やレストランのようなものが見えます。
突然、「お前、こんなところで何をしているんだ」という声がしました。声がする方に目を向けると、そこにはなんと、私が幼い頃に他界した祖父がいたのです。
「飛んでいるうちに辿り着いたんだけど…ここはどこ?」
「ここかい?霊界の入り口だよ。もう準備ができたのかい?」
「いや、そうじゃないけど…まだ死ぬのは嫌だよ。」
祖父は笑いながら、「そうか。せっかく来たのだから、ゆっくりしていきなさい」と言いました。
私たちは、その白い建物に入りました。1階にはホテルのようなロビーがあり、奥にフロントデスクがありました。数名の人々がその受付でサインを済ませると、案内係に連れられてエレベーターに乗っていきました。
「ここはホテルなの?」
「いや、そうじゃない。地獄に行く人と極楽に行く人の受付をするところだよ」
「それじゃ、さっきの人たちは?」
「残念ながら地獄へ行ったよ」
それまで私の中にあった地獄のイメージでは、「三途の川」や「賽の河原」があり、向こう岸に渡る船には赤鬼が待ち構えているはずでした。その船に乗るには「六文銭」が要るということを子供の頃によく聞かされたものです。
49日目には閻魔大王に会い、罪の重さによって「地獄行き」を言い渡されると思っていましたが、ここでは簡単に受付をするだけです。
「閻魔大王はいないの?」と祖父に聞くと、「それは江戸時代の話だよ。今は生前に犯した罪は、自動的に計算されているんだ。」と笑いながら答えてくれました。
「なるほど、霊界もITを導入しているわけだ」と感心しながらも、奇妙な事を考えている自分に自然と笑みがこぼれていました。
祖父は、私をエレベーターの前に案内しました。エレベーターの階数表示を見ると、『0』(ゼロ)となっています。
「あれ?『1』ではなくて『0』(ゼロ)だよ?」
「そうだよ。ここは霊界の入り口だから『0』(ゼロ)なのさ」
エレベーターの上には、時計のような文字盤がありました。大きな針が時計回りに回転する時は極楽へ行き、反対方向に回る時は地獄に行くのだそうです。
さっきの人たちが乗ったエレベーターの針は、まだまだ回転が止まりません。相当深いところにある地獄のようです。
私は次第に、霊界の入り口で祖父に出会った事に対して疑問を感じ始めました。
「ところで、おじいさん。なんでここにいるの?」そう聞くと、祖父は答えました。
「それは私がお前の守護霊だからだよ。」
祖父は私が幼い頃に他界しましたが、背中におんぶしてくれたり、自転車で遠くに連れて行ってくれたり、楽しい記憶が残っています。
「幸いにも地獄行きを免れたから、こうしてお前の守護霊になれたわけだよ」
その後もいろいろと話を聞きましたが、私の身に何か危険な事が起きた際には、祖父が守ってくれたそうです。確かに、これまでの人生で何度か思い当たるような出来事があった気がします。
夢から覚めた後、自分が見たものについて冷静に考えました。霊界の入り口が、まさかあんな仕組みになっているとは到底思えません。しかし、肌感覚としては極めてリアルな体験だったのも事実です。
考えるに、人は自分の想像を超える未知のものと遭遇した時、そのものを正確に認識する事が出来ず、過去の記憶から「それらしい」イメージを総動員して、脳内で像を作り上げているのではないでしょうか?
ですから、私が目にした霊界のイメージも、別の人からすれば全く違う世界に見えるのかもしれません。
私の守護霊だと明かしてくれた祖父の優しい笑顔だけは、紛れもなく、ありのままだったと思います。
人の『業』と守護霊の役割
人間の魂は「輪廻転生」を繰り返す定めにあります。なぜなら私たちは皆、前世より引き継いだ「カルマ」を背負っているからです。
カルマを日本語に訳すと「業」(ごう)と読みます。欲の皮が突っ張った人の事を「業突く張り」と言ったり、時代劇などでケチな大家さんを「因業大家」と呼んでいたりしますが、「業」(ごう)という言葉は本来、「行為」を意味します。
現世で積み重ねた行為によって、来世も含めたその後の人生の因果律が導き出されます。
「因果応報」(いんがおうほう)という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、善い行いをすれば幸運が訪れ、反対に悪い行いをすれば不幸に見舞われるという事です。
「私は悪いことなんてしていないのに、なぜこんなに不運なんだろう」と嘆いている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは前世のカルマによって引き起こされている可能性があります。
ところが、私たちには前世の記憶がありません。そのため、今現在どんなカルマを背負っているのか残念ながら知ることができません。
そんな時、守護霊様は、私たちが気付いていないカルマの存在を教えてくます。そして、どうすればそのカルマを克服できるか道を示してくれます。
守護霊様は、あらゆる場面で私たちを守ってくれる有難い存在です。現世で「善い行い」ができるよう、私たちに力を貸してくれているのです。
「何回恋愛しても長続きしない」
「何回失恋しても同じタイプの人を好きになってしまう」
「何度結婚しても離婚を繰り返してしまう」
「原因不明の病苦に苛まれている」
「科学的に説明のつかない不思議な現象に悩んでいる」
などなど…
そのようなお悩みを抱えている方は、是非、電話占い絆で鑑定をお受けになってください。
直感で「この占い師さんだ!」と思える人で構いません。人間は大きな潜在意識の中で一つに繋がっています。直感は潜在意識からの「答え」でもあるのです。
もし、守護霊様についてご興味がおありでしたら、これまでの経験から、私にもお役に立てる事があるかと思います。皆様とのご縁を心よりお待ちしております。
このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。
多聞先生たもん
鑑定歴 | 20年以上 |
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得意な占術 | 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占 |
実績 | 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。 抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。 タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。 2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。 |
得意な相談内容 | 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢 |
多聞先生よりご挨拶
コラムを最後までご覧頂き有難うございます。
苦しく辛い世の中を優しく生きることは、大変難しいことです。しかし、唯物論的に生きることは、理性的でハッキリしていますが考える範囲が狭く、堅苦しく息苦しいものです。
占い師は、精神世界の広がりを皆様にご紹介する水先案内人のようなものです。またご自分の守護霊様を見つけることができれば、お悩みも解消できるかもしれません。
精神世界は、海に浮かぶ氷山のようなものです。海の上に突き出た部分が見える現実とすれば、海の下に沈む大きな部分が、人間の精神世界です。
占いによって、見えない世界を見ることができます。それは皆様の心の世界であり、悩みの回答がご自身の心の中に用意されているのです。人間は小宇宙だと言われています。人間の心の中に神様がいるという説もあります。ごいっしょに精神世界の旅に出ませんか。お待ちしています。
お客様から頂いた口コミ
女性30代
明るく穏やかな口調で、お話をしていると心がほっこりしました。
芯から優しいお方なのだなと感じました。
鑑定も丁寧で的中しており、具体的にどうすればいいかをしっかり伝えてくださる先生です。