源氏物語・末摘花の笑訳
執筆した占い師:多聞先生
更新日:2024年7月4日
皆様、こんにちは。多聞でございます。
今回は、紫式部の「源氏物語」の中の「末摘花」(すえつむはな)の帖について、お話をしたいと思っております。
「末摘花」は、紅花(べにばな)のことです。紅花は、キク科の花です。地中海沿岸やエジプトがオリジンで、シルクロードを経由して、中国へと広まりました。
日本に伝わったのは、奈良時代です。紅花の花言葉は、「化粧」、「包容力」、「情熱」です。平安時代は、高級で貴重なものとされ、貴族の間で人気のある色でした。
源氏は、常陸宮の姫の鼻が長くて先が赤かったことから、「末摘花」というあだ名をつけました。この帖だけ読むと、源氏も人が悪いなあ、かわいそうじゃないかと思いますが、実は後編にも「末摘花」は登場します。
源氏が、須磨に隠棲して、長く都に戻れなかったことがありましたが、「末摘花」が、源氏を待っていてくれたことに感動し、生涯をともにしました。源氏物語では、落ち目を経験し、人間の価値を見直した源氏の心の優しさを描いています。
神秘の女性・末摘花(すえつむはな)の出会い
ある日、大輔(たいふ)の命婦(みょうぶ)という宮中に仕える女性から、故常陸の宮(ひたちのみや)の姫君の噂を聞きました。琴が上手だという噂です。
源氏は興味が湧いて、乳母に、その姫君との仲介を頼みました。春のおぼろ月夜に、こっそりと姫を訪ねました。
あとから、頭の中将と出くわしますが、ライバル意識から、二人は、この姫君に手紙を出しました。しかし、返事はありませんでした。
秋になり、侍女の手引きで、姫君と会うことができました。ところが、姫君は、引っ込み思案で、気の利いたセンスもなく、手紙のやりとりもありません。
源氏はがっかりして、しばらく遠のいてしまいました。しばらくたってから、思い出して、また訪ねてみました。
ある冬の夜でした。屋敷は、ますます荒れ果てて、宮家といっても、貧窮ぶりは、目に余るものがありました。その夜も、姫君とは、うちとけないまま、朝を迎えました。
源氏は、姫君の顔をひとめ見たいと思いました。戸を開けると庭には雪が積もっていました。源氏は、「庭が雪できれいだから、いっしょに御覧なさい」と、姫君を誘いました。
雪明りの中で見た姫君の容貌や、背格好は、驚くべきものでした。座高が高く、やせていて、鼻は長く、その先は、赤くなっていました。
源氏は、落胆しましたが、同時に、同情もして、生活の援助をすることを決心しました。
一方、だんだんと美しくなる紫の君を相手に、赤い鼻の女の絵を描いたり、自分の鼻に紅をつけて、ふざけたりしていました。
鼻が長い顔立ち
平安時代に、鼻が長いという顔立ちは、珍しいのではないかと思います。
西洋風の顔立ちであれば、鷲鼻や鉤鼻など、鼻に特徴のある顔立ちの人は、多いのですが、日本で、鼻に特徴のある顔の骨格は、あまりなかったのでないかと思います。
今昔物語の中に、「池尾禅珍内供鼻語」(いけおのぜんちんないぐのはなのこと)や、宇治拾遺物語の「鼻長き僧の事」に、鼻の長い僧の話が出てきます。
その話をもとにして、芥川龍之介が、「鼻」という小説を書いたことは、あまりにも有名です。
参考画像:芥川龍之介の肖像写真
夏目漱石は、芥川龍之介の「鼻」を絶賛したと言われています。どこが凄いのかというと、僧の心理描写です。人間の心の複雑な思いを書き表しているからです。
僧の禅珍内供は、鼻が長いことによって、食事の際に不便を感じることや、世間の悪い評判を聞くこともありますが、それはそれで、仕方がないと納得しています。
しかし、どうにか鼻を短く見せられないものかと、暇を見つけては、鏡を見ては、ため息をつきながら、どうにもならないと諦めるのです。
次に、世間の誰かに、鼻の長い人はいないかと、根気よく探しますが、いっこうに見つかりません。あるいは、古い経典の中に、鼻の長い人はいなかったか、読み漁りましたが、見つかりませんでした。
もちろん、鼻を短くする薬はないものかと、いろいろな薬を試しますが、効果はありませんでした。
ある時、弟子の僧が、鼻を短くする方法を聞きつけ、それを試してみます。すると、効果があって、鼻は短くなりました。
僧は喜んで、「これで、他人に笑われることもなくなった」と喜びます。しかし、世間とは酷いもので、前よりも可笑しさが、強いものとなり、笑い転げる始末です。
「何ということか」と、僧は、落胆します。僧の悩みは、前よりも強くなり、ふさぎ込んでしまいました。
ここで、芥川龍之介は、人間の心理について、次のように書いています。
「人間には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はいない。所がその人がその不幸を、どうにかして切り抜けることが出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気さえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。内供(僧の名前)が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない」
芥川龍之介「鼻」から抜粋
この後、僧の鼻は、再び長くなり、元通りになってしまうのですが、僧の気持ちとしては、晴れやかな気分になりました。
これで、笑う者は誰もいなくなるという安心感と、何か寂しい思いが、僧の心に残りました。
平安時代に、鼻の長い人がいたのかどうか、不明ですが、今昔物語の逸話になっているくらいですので、もしかすると、実際に鼻の長い人がいたのかもしれません。
日本人の多くは、鼻が低く、「あともう少し高ければ」と思う女性の方もいらっしゃるかもしれません。現在、流行のプチ整形でも、鼻の手術を受ける方も多いと聞きます。
しかし、過去には、問題を起こしたクリニックもありますので、余程注意をして、宣伝文句に乗せられないようにして頂きたいと思います。
また、黒子(ほくろ)などを気にして、手術で取ってしまう場合もありますが、それもよく考えてから、手術を行うのが良いでしょう。
自分にとっては、不快なものだという場合でも、チャームポイントになることもあります。
福を招く黒子もありますので、やたらに取ってしまうと、福が来ないということもありますので、注意が必要です。
鼻の高さが歴史を変える?
フランスの有名な哲学者のパスカルが、「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていただろう」と言ったのは、有名な話ですが、鼻の高さが歴史を変えるという面白い譬えだと思います。
実際のクレオパトラは、美人ではなかったという説もあります。クレオパトラの肖像は、発行された硬貨に残っている横顔を見ると、当時の美的感覚もあるかもしれませんが、絶世の美女の顔立ちではなかったように思えます。
参考画像:Marble bust of Cleopatra VII of Egypt from ca. 40-30 BC. An ancient Roman bust of Ptolemaic ruler Cleopatra VII of Egypt wearing a royal diadem band over her hair; dated to the mid-1st century BC (i.e. around the time of her visit to Rome), it was discovered in a villa along the Via Appia. It is now located in the Altes Museum, Berlin, in the Antikensammlung Berlin collection.
ローマのカエサルやアントニウスが、クレオパトラの愛に溺れてしまったのは、美形であったことよりも、知性溢れる教養と、機知に富んだ会話と、うっとりとさせる彼女の声にあったと言われています。
また、クレオパトラは、独特の美容法を持ってしました。有名なものをご紹介しますと、「薔薇のオイル」を使っていました。薔薇のオイルは、香りが強く、さわやかな気分にさせるのと同時に、肌の保湿にも効果があります。
次に、有名なものは、「ミルクのお風呂」です。ミルクには、カゼインが含まれているので、角質を取り去るのに効果があるとされています。
次に、「ハチミツ」を顔などに塗りました。保湿やシワをとるのに効果があったと言われています。
その他には、「死海」に行って、入浴したと言われています。死海は塩分の濃度が、普通の海水よりも、10倍濃いと言われています。そのため、死海に入ると、海水の比重が高いので、人間の体は、浮いてしまいます。
また、死海の泥は、ミネラルが豊富ですので、「泥パック」すると、肌がつやつやになると言われています。クレオパトラの美容法も、彼女を絶世の美女と言わしめるひとつの要因であったかもしれません。
天狗の由来は、サルタヒコ
鼻が長いという点では、「天狗の面」も鼻が長いのが特徴です。天狗の由来も、いろいろと説があります。
日本の古事記などに出てくるサルタヒコも鼻の長い神様として有名です。サルタヒコは、道案内の神様です。そのため、現在では、交通安全の神様として知られています。
参考画像:Sarutahiko Ōkami in Osaka Tenjinmatsur
古事記では、アマテラスの孫のニニギが、宮崎の高千穂に降臨した時に、サルタヒコが道案内役をかってでた神として描かれています。
そのため、村の道の分岐点によく祀られる道祖神と同一視されることも多く、姿形が天狗のようなものに似ているので、天狗説の原点として見られています。また、渡来系の神様ではないかと言われることもあります。
インドの神様にも、「ガルーダ」という鼻の長い神様がいます。ガルーダは、ヒンズー教の神話に登場する神鳥です。
参考画像:Garuda statue near Sanur Beach, Bali by Satdeep Gill is licensed under CC BY-SA 4.0
ヴィシュヌと言う神様が、ガルーダに乗って大空をかけるとされています。仏教では、迦桜羅(かるら)と呼ばれ、仏を背負って、三世、宇宙、世界を結ぶ働きをすると言われています。
インドネシアの国営航空会社の名前が、「ガルーダ・インドネシア航空」と名づけられているのは、この神話がもとになっているのではないかと思います。
こうしてみると、古代の日本人には、鼻の大きい人もいたかもしれないと思えます。
数は少ないかもしれませんが、特徴があり、優れた人物であったので、天狗と崇められ、神様と称せられるようになったのかもしれません。そう考えると、中国や朝鮮など、外国から来た渡来人の可能性もあります。
学説の裏付けはありませんが、日ユ同祖論という説があります。古代、ユダヤ人が日本にやってきたという説です。
旧約聖書に書かれたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10の部族として、ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族は、紀元前722年に北イスラエル王国が、アッシリアに滅ぼされた後、多くがアッシリアに捕虜として連行されましたが、一部は、アジアに逃れたと言われ、日本にも到達し、定住するようになったと言われています。
学術的な裏付けは、ありませんが、日本人のオリジンが、イスラエルにあるというのも、歴史的なロマンを感じさせます。
「桃太郎の鬼退治」の話に出てくる鬼も、外国人ではなかったか、という説があります。岡山県の桃太郎伝説では、鬼として恐れられていた「温羅」は、鬼ではなく、朝鮮の百済(くだら)の王子で、吉備にやってきて一帯を支配した大きな勢力の首領だったという説があります。
鬼の体や顔を見ると、筋骨隆々、大きな目に、大きな鼻、おまけに牙まであります。髪は縮れて、虎皮の服を着ています。日本人の文化とは、かけ離れていますので、外国人だったというのも、何となく理解できそうです。
日本人は、同じような顔つきや体形をしていますので、「単一民族」という見方をする人もいらっしゃいますが、学術的な研究では、多民族国家であるようです。
理化学研究所の研究によると、日本人の祖先に係る3つの源流として、縄文系祖先、関西系祖先、東北系祖先の存在が明らかになっています。
また、ネアンデルタール人やデニソワ人から受け継いだ遺伝子も発見されているそうです。一般的には、日本人の祖先は、約3万8千年前に到着したと言われています。
その祖先は、ホモ・サピエンスと呼ばれる現生人類で、約20万年前にアフリカで誕生し、その後、世界各地に広がっていきました。
日本人の祖先は、北、西、南の3つのルートから日本にやってきたと言われています。縄文時代には、縄文人が住んでいました。
その後、弥生時代に入ると、中国や朝鮮から日本に渡来してきた弥生人が、存在し、これらの人々が混ざり合って現在の日本人が形成されたと考えられています。
極端なことを言えば、「人類は皆兄弟」と言うのも、あながち間違いではないと言えるのではないでしょうか。
かごめ、かごめ、はヘブライ語?
日ユ同祖論の中で、よく言われるのが、日本語とヘブライ語の共通点です。
「かごめ、かごめ」という歌がありますが、この歌が、ヘブライ語ではないかという説があります。
「カゴー」は、ヘブライ語で、「守る」とか、「囲む」とかを意味する言葉と言われています。その後の「め」は、ヘブライ語の「ミー」ですが、「誰」とか「何」を意味するそうです。
そのように、ヘブライ語をあてていくと、全体では、「何が守られているのか、守られて封印されたものを取り出せ、火をつけろ、神の社(やしろ)を根絶せよ、お守りの岩をつくり、水を引いて、荒れた土地を支配せよ」という意味になるそうです。
もっと不思議な事としては、イスラエルの「六芒星」と、日本の「カゴメ紋」が、まったく同じ形をしていることです。
三重県の「伊勢神宮」に、この六芒星とそっくりの紋を見ることができます。日本では、この紋を「カゴメ紋」と呼んでいます。
参考画像:籠目(かごめ)は、日本の家紋「籠目紋」の一種である。竹で編んだ籠の目をモチーフにした連続文様に由来する。 by Mukai is licensed under CC BY-SA 3.0
また不思議な話ですが、青森県三戸郡新郷村戸来には、イエス・キリストの墓があると言われています。
この墓は、1935年(昭和10年)、新興宗教の皇祖皇太神宮天津教の教主である竹内巨麿(たけのうちおおまろ)によって、発見されたと言われています。
彼の説によると、ゴルゴダの丘で処刑されたのはキリスト本人ではなく、弟のイスキリであったと言われています。
キリスト本人は、日本まで逃れ、青森県の戸来で余生を過ごしたそうです。現在では、毎年6月に開催される「キリスト祭り」に、多くの観光客が集まっているそうです。
余談ではありますが、日本語はどこから来たかという問題がありますが、まだ解明はされていません。日本の周りには、朝鮮語があり、中国語があり、その他のアジアの民族の言葉があります。
歴史的には、中央アジアやインドなどの言葉にも影響を受けているのではないかと思います。文法構造が独特で、欧米の言葉とは、極端に違うので、勉強する際に苦労をされた方も多いのではないでしょうか。
日本語と英語は、ルーツは全く違いますが、それでも共通点があるのは不思議です。
江戸時代に、ジョン万次郎という人が、アメリカに渡り、英語を学びました。その時に、彼は、日本語に似た発音を組み合わせて、英語を覚えました。
参考画像:Photograph of Nakahama Manjirō (1827– 1898)
例えば、「What time is it now?」(いま何時ですか?)という英語を、「掘った芋、いじるな」と覚えたのです。この覚え方をすると、一回でフレーズを覚えられます。
「Water」(水)は、「ワラ」、「New York」(ニューヨーク)は、「ニュウヨウ」です。
外国には独特の文化があり、日本との共通点を探すのが難しいこともありますが、違いを見出すのも興味深いものがあります。価値観の違いということも驚くことが多いです。
「末摘花」の帖において、源氏は、新しい美の価値観の発見をします。
従来の女性にある外見の美しさだけでなく、末摘花という女性の内面の美と言いますか、見えない部分の美しさに目覚めていく心の成長が見られます。
なぜ末摘花という題名がついたか
「末摘花」(すえつむはな)という題名ですが、今までの「桐壺」(きりつぼ)、「帚木」(ははきぎ)、「空蝉」(うつせみ)、「夕顔」(ゆうがお)、「若紫」(わかむらさき)などの名前と、少し意味合いが違います。
「末摘花」は、「紅花」のことです。花が茎の先につくことから、「末摘花」という名前がついたとされています。紅花は、その名の通り、赤い花が咲きます。赤い花と、この帖の主人公の女性の鼻が赤いことを関連づけて、紫式部は、この女性を末摘花としたのでしょう。
それぞれの帖で、中心となる女性は、源氏の心をとらえる美を表す象徴的な名前が付けられていますが、「末摘花」は、主人公でありながら、今まで登場した女性像とは違います。
最後の方で、ようやく源氏は、末摘花の姫君の顔を雪明りで見ることができました。「鼻が長く、先端が赤い」という特徴や、美人ではないし、気の利いた和歌も作れない、古ぼけた着物を着ているなど、源氏の求める女性の水準は、満たしていないのですが、「何とかしてあげなければ、この姫は気の毒だ」と思うようになり、面倒をみることを決心しました。
初めて読む読者は、「末摘花」の帖には、どのような素晴らしい女性が登場するのか期待してしまいますが、雪明りに見えた彼女の顔は、異様なほど、鼻が長く、先の方が赤くなっていたのです。
紫式部は、読者の興味をそそる心理を巧妙にとらえ、源氏と読者の心理を一体化させ、「末摘花」は、どんな女性なのか、どんな顔立ちなのか、源氏の気持ちを、興味と期待でいっぱいにふくらませます。
紫式部は、まるで手品師のように、ベールがかかった箱の中身を、チラリ、チラリと見せながら、読者をひきつける手法は、見事なものだと思います。
将来、小説を書きたい方々もいらっしゃるかと思いますが、紫式部の書き方は、とても勉強になります。
貴族の女性の化粧法
平安時代の貴族の女性の化粧法は、顔を白くしていました。コメの粉や、上等なものは、鉛を使ったものがありました。
鉛が体に悪いということが、わかっていない時代でしたので、中毒になってしまう人もあったようです。
赤い紅は、紅花から作りました。頬紅と口紅の2種類あり、顔の化粧の基本的な方法となりました。
眉毛も重要な要素でした。通常は、眉抜きをして、眉墨(黛)で、眉を描きました。これを「引き眉」と言いました。
それに、歯を黒く染めたことはご存じでしょうか。「お歯黒」と言って、鉄を酸化させて、液状にして、歯に塗りました。そのため、鉄漿付け(かねつけ)とも言いました。
白塗りの顔に、赤い口紅、口を開けると、真っ黒な歯が見えるという顔を見れば、現代では、美的と言うよりは、奇怪な感じがします。
「お歯黒」は、古墳時代から存在しており、奈良時代には、中国から伝わった製法が広まったと言われています。江戸時代には、一般庶民に広まりました。
効果として、虫歯の予防や歯の強化に効果があったとされています。
「末摘花」は現代であれば美人のひとり!
ハリウッド女優のバーブラ・ストライザンドをご存じの方もいらっしゃるでしょう。
彼女は、1942年にアメリカのニューヨークで生まれました。アカデミー賞やエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞など、数多くの賞を受賞しています。
彼女は、ユダヤ系のロシア人の家族に生まれました。生後間もなく、父親を亡くし、継父のルイス・カインドに育てられましたが、関係は悪かったと言われています。
1959年、エラスムス・ホール高校を4番で卒業しました。歌が好きで、10代の頃にナイトクラブで歌手としてデビューしました。しかし、歌手は本命ではなく、女優になりたいと思っていました。
1962年には、ミュージカル「あなたには卸値で」でブロードウェイに出演し、その後、コロムビア・レコードと契約を結びました。
それ以来、ヒットを続けるバーブラ・ストライザンドでしたが、少女期に受けた精神的な虐待により、自分の容姿にコンプレックスを持ち続けたと言われています。
しかし、彼女の演技や歌唱力をみれば、わかるように彼女の素晴らしさは、容姿など問題にはなりません。鼻が大きいのは、彼女の特徴であり、魅力のひとつになっています。
その他にも、ハリウッドの女優の中には、鼻の大きな女性がいます。例えば、スカーレット・ヨハンソン、メリッサ・マッカーシー、レイチェル・マクアダムス、ニコール・キッドマン、エヴァ・グリーン、ソフィア・リリスなどです。
彼女たちが、日本の平安時代に生まれ、貴族のお姫様として生まれたとしても、美人と評価されたかどうか難しいと思います。日本の当時の美人は、中肉中背、うりざね顔で、優雅で上品な目鼻立ちでなければなりませんでした。
現代は、美人の定義も多様化して、個性が重要とされています。しかし、形よりも心の大切さが、何よりも尊いものだという考え方に重点を置いていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
さて、今回はこれまでです。
▼多聞先生の前回の記事はこちら▼
源氏物語・若紫の笑訳
▼多聞先生のインタビューはこちら▼
「多聞先生」ってどんな人?電話占い絆所属の占い師に直接インタビュー!
このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。
多聞先生たもん
鑑定歴 | 20年以上 |
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得意な占術 | 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占 |
実績 | 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。 抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。 タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。 2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。 |
得意な相談内容 | 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢 |
多聞先生よりご挨拶
コラムを最後までご覧頂き有難うございます。
「源氏物語の末摘花の帖の笑訳」は、如何でしたでしょうか。「鼻」というテーマでしたが、鼻に関する慣用句を調べると、自慢の意味の「鼻が高い」、機転の利く性格を表す「鼻が利く」という言葉もあります。嫌なことを表す「鼻に付く」、バカにする意味の「鼻で笑う」など、他にもたくさん鼻に関する慣用句がありますが、鼻は、その人の性格を表す言葉にもなっています。
何も語らない鼻は、普段、人間の顔の真ん中にある静かな器官ですが、人間性の象徴ともなる不思議なものと言えます。「末摘花」の姫は、特徴のある鼻のために、男性からモテなかったかもしれませんが、源氏という素晴らしい男性に出会うことができ、幸福な人生を送ることができました。
人生は紆余曲折、順風満帆とはいかないのが、悩みの種ではないでしょうか。思ったようにいかない、なにかと苦難が付きまとい、なかなか幸せに至ることが少ない世の中ですが、そのような状況でも、少しでも未来に明るい希望を持っていただけるように絆は努めてまいります。
是非、絆にお電話をおかけ下さいませ。
お客様から頂いた口コミ
女性50代
先程はありがとうございました。彼の性格がとても当たっていたので、ずっと「そうなんです!」と頷きっぱなしでした(笑)
長期戦になりそうですが、今の距離を保ちつつ気長に頑張ります!