源氏物語・帚木・空蝉の笑訳
執筆した占い師:多聞先生
更新日:2024年4月5日
皆様、こんにちは。多聞でございます。
今回は、前回に引き続き、紫式部の「源氏物語」の中の「帚木」(ははきぎ)と「空蝉」(うつせみ)という帖のお話をしたいと思っております。
この「帚木」(ははきぎ)・「空蝉」(うつせみ)は、若い光源氏が、恋愛に失敗し、思い悩む光源氏の姿が描かれています。
「帚木」や「空蝉」という名称も、書かれている内容をイメージに置き換えることができるような巧みな効果があります。そのあたりの雰囲気も味わっていただきたいと願っております。
「帚木」(ははきぎ)
最初に、「帚木」(ははきぎ)のあらすじをご紹介致します。
源氏の年齢は、17歳ぐらいです。源氏が近衛中将(このえのちゅうじょう)という官位でいたころは、内裏でばかり過ごしていたので、正妻の「葵の上」(あおいのうえ)が、住んでいる左大臣家に通うことは少なかったそうです。
五月雨の降る夜に、光源氏は、宿直(とのい)という夜間の勤務で、自室(桐壺)にいると、親友の「頭の中将」(とうのちゅうじょう)が訪ねてきました。
頭の中将は、「葵の上」の兄です。父親は左大臣であり、光源氏から見れば、義理の兄ということになります。彼も二枚目の男性で、源氏とは恋愛では競っていました。光源氏が、おっとりした性格とすれば、頭の中将は、負けず嫌いな性格と言えるでしょう。年齢も光源氏よりは、少し上のようです。
頭の中将は、女性を上流・中流・下流と3つの段階に分けて、評価を行いました。その結果、彼は中流階級の女性が一番良いという結論を下しました。
現代においても、男性が女性を選ぶ場合、「逆玉の輿」を狙って、社長令嬢や重役の令嬢を選ぶということもあるかもしれませんが、結婚してから頭が上がらないかもしれません。
自分と同じ社員同士の結婚であれば、肩の張らない夫婦関係になるでしょう。そのように考えると、紫式部の描いた貴族の男性が持っている女性観は、現代にも通じるものがあります。
光源氏は、若くして昇進を重ね、やはり中将と言う官位であり、頭の中将より少し位階は上という立場でした。男同士の付き合いにおいては、仲良しであっても、出世や恋愛において、お互いにライバル意識が強く、負けたくないということから、光源氏も恋愛には積極的でした。
当時の貴族の身分制度は、3段階に分かれていました。最高位が公卿(くぎょう)で、その下が諸大夫(しょだゆう)、その下が侍(6位以下)です。
その他にも、官職の名称は、大臣、大納言、中納言などが代表的なものがあります。それに加えて、「位階」という制度がついています。従五位の上とか、下とか、お聞きになった位階もあると思います。
紫式部や清少納言の家柄は、「受領」(ずりょう)という諸国の長官でした。位階としては、従五位の下になるのが必要でした。紫式部の父親の、藤原為時も越前守(えちぜんのかみ)として赴任しました。
そこへ「左馬頭」(さまのかみ)と、「藤式部丞」(とうしきぶのじょう)が、やってきました。彼らもまた恋愛に関しては、経験豊かであるので、なお一層、女性談議に花が咲きました。
紫式部が、このような男性心理をリアルに描けるというのは、いったいどうしてなのかと思いますが、歴史書には、紫式部の男性遍歴について、書かれているものはありません。彼女は、誰よりも感受性が強く、男性心理を細かく分析できる能力をもっていたのだろうと思います。
光源氏や頭の中将たちは、宮中で美しい女性たちとの華やかな恋愛を展開できるのも、貴族の中では、位も高く、権威も高い人々であったからでしょう。
光源氏と違って、私の若いころは、貧乏なサラリーマンですので、そのような華やかさはありませんでした。恋愛のチャンスを求めて、同僚と夜の繁華街によく飲みに行きました。当時はようやく、カラオケが流行り始めた頃でした。そのころのカラオケは、1曲歌うのに100円玉を機械に挿入します。弁当箱のような大きさのカセットを機械に入れると、曲が始まりました。
スピーカーは、モノラルで、エコーもありません。いくら音量を大きくしても歌声は、単調に聞こえるだけです。ビデオ画面はなく、歌詞が載っている本がないと歌えません。それでも、同僚とは、本とマイクを奪合って歌いました。
そのようなカラオケ・スナックで綺麗な女性から、「お上手ね」などと言われると、有頂天になったものです。しかし、私の同僚も負けてはいませんでした。
そのスナックに毎晩、通い始めたのです。彼と店に入ると、例の美しい女性が、彼のことを「○○ちゅあ~ん」と呼びます。「ちゅあ~ん」に妙なイントネーションがつき、私の耳に、その音がついて離れないという後遺症が残ってしまいました。彼と彼女は、とうとう恋愛関係となったことを知りました。
それから3か月後、彼とまた飲みに行くことになり、例の女性のことを聞きました。すると、彼は彼女と別れたと言うではありませんか。「えっ、どうしたの」と聞くと、「いいや、聞かないでくれ」と言います。彼は、彼女を思い出すかのように、遠くをながめ、ぐっとこらえてウイスキーを飲み干しました。きっと辛い別れがあったのでしょう。
失恋は当然と言えば当然なのです。お店では、ホステス嬢にノルマを課して、お客の獲得に必死です。お店のママは、今月は何人獲得したかという棒グラフまで作り競わせています。恋愛を匂わせて、通わせることぐらい当然のことでした。恋愛のチャンスの少ない男性にとって、お店は恋愛の宝庫に思えたものでした。
少し、帚木から離れて、葵の上と源氏との関係をお話しします。「葵の上」は当初、東宮(のちの朱雀帝)の妃に希望されていましたが、左大臣の思惑で、元服した光源氏の北の方になりました。
しかし、光源氏は、前々から、「藤壺」を恋い慕っていたので、「葵の上」との関係は、しっくりといきませんでした。「葵の上」は、しかも源氏よりも4歳も上でしたので、他の女性たちと浮名を流している源氏との仲は、冷え切るばかりでした。
その先、10年後(源氏22歳)にようやく「葵の上」は、懐妊し、ようやく夫婦仲も良くなるかと思いましたが、妖怪に悩まされるという事態となってしまいました。彼女に憑いた妖怪は、源氏の愛人の「六条御息所」(ろくじょうみやすどころ)の生霊(いきりょう)でした。
8月のなかごろに難産の末、「夕霧」を産みました。源氏との仲も心が通い合い打ち解ける夫婦となりましたが、秋になると急に苦しみ出し、そのまま亡くなってしまいました。源氏は後悔しながら左大臣の屋敷で喪に服しました。
さて、先の話に行きすぎましたので、帚木(ははきぎ)にもどります。
わいわいと、ああでもない、こうでもないという話題の中心は、「どんな女性が良いか」という「雨夜の品定め」と言われるシーンです。
「左馬の頭」(さまのかみ)は、女性を「上・中・下」に分ける分類論を語ります。彼は、女性は中流が良いと言い、良妻を選ぶ難しさを雄弁に述べます。さらに、嫉妬深い女の話や浮気な女の思い出話を語りました。
「頭中将」(とうのちゅうじょう)は、彼の経験談から、本妻にいじめられ、姿を消した内気な女、常夏(とこなつ)という女性の話をしました。彼女はおとなしい性格で、中将との関係が途絶えても、不満を顔に出しませんでした。しかし、子どもを儲けた後、彼女は姿を消してしまいました。常夏と言う名称は、撫子(なでしこ)の古い名称であり、彼女の性格を見事に表しています。
また、「藤式部の丞」(とうしきぶのじょう)は、少し変わった女性の話で、賢いことが自慢の学者の娘が、にんにくを食べていて、その臭いに耐えられなかったという話など、真剣な表情の中にも、笑いを誘うような巧みな話に、源氏は引き込まれてしまいます。
変わった女性と言うと、私も若い時の思い出に残る人物がいます。「横浜のメリーさん」と呼ばれていた人です。私の若い頃の職場は、横浜の山下町という場所にありました。横浜港に隣接した山下公園をご存じの方もいらっしゃるでしょう。
そこに、以前、シルクホテルという有名なホテルがありましたが、午後3時ごろになると、白塗りの厚化粧をして、白いフリルのついたドレスを着た女性が、シルクホテルのラウンジの紅茶を飲みに通っていました。
たまたま、私も横浜の山下町にある職場でしたので、シルクホテルで、仕事の休憩に、コーヒーでも飲もうとしたときに、この女性に遭遇したのです。
後姿を見れば、フランスの王妃のような衣装と金髪(多分カツラ)を見て、最初は、映画の撮影でもあるのかと思いましたが、ホテルの人に訪ねると、「あの方は、『横浜のメリーさん』という方です」というのです。
恐ろしいことに、帰りがけにシルクホテルの5階のラウンジから、帰ろうとすると彼女も帰る所でした。そして、エレベーターをいっしょに下りました。他に客はなく、メリーさんといっしょの時間が、とてつもなく長く感じました。エレベーターの中は、ムッとくるような濃い化粧の匂いで充満し、目がくらみそうになりました。
現在、インターネットで調べると彼女のことが出ています。彼女は岡山県の出身となっています。戦中は、軍需工場で働き、戦後は関西の料亭で仲居として働いたそうです。そこで知り合った米軍将校と仲良くなり、愛人となったようです。その後、朝鮮戦争が始まり、彼は朝鮮へ行きましたが、そのままアメリカに帰ったようです。
以後、独身となった彼女は横浜にある米軍基地に移動し、そこで、他の米兵と暮らしたようです。しかし、米兵もどんどんアメリカに帰国してしまい、横浜の米軍施設も横浜市に返還され、姿を消してしまいました。現在は、その跡地には、高級マンション群が立ち並び、昔の面影はまったく残っていません。
横浜の米軍基地といっても、横浜の各所にありますが、本牧にあったのが、兵隊と家族が住むエリアでした。約1000家族ぐらいが住んでいたと思います。この中には、学校や病院、郵便局など、アメリカのひとつの街が存在していました。
現在も、日本には他に大きな米軍基地がありますが、同様に基地の中は、ひとつの街を形成し、アメリカ兵がアメリカで居住しているのと同じ環境を作っているのです。
緑の芝生が一面に張り巡らされ、兵隊の住む居住する建物は、「ハウス」と呼ばれていました。映画館やPX(Post Exchangeの略)と呼ばれる商業施設があり、戦後、物資の無い時代に、そこで働くと、アメリカの衣料品や食料品が安く買えたので、PXで働く知り合いの人から、バターやチーズ、クッキーやチョコレートなどを分けてもらったことが思い出に残っています。
今から思うと、嘘のようですが、戦後の何もない時代、PXの缶入りのココアなども、大事なお菓子以上の価値がありました。少年であった私は、毎日、スプーンに数杯、缶からすくって舐めたものでした。
その後、「横浜のメリーさん」は、横浜から彼女の姿は、プッツリと見なくなりましたが、岡山県にもどり、老人ホームで一生を送ったようです。(2005年1月17日死去)
源氏は、家来の者から、紀伊守(きのかみ)が、屋敷を新築して、水などを引き込み、風流な庭をこしらえた話を聞きました。その屋敷ならば、蒸し暑さもなく涼しいのではないかと思われました。
翌日、源氏は、「方違え」(かたちがえ)で、紀伊の守(きのかみ)の屋敷に出かけました。「方違え」というのは、目的地の吉方を占った時に、凶とされる方角を避けるために、別の方向に移り、吉方とされる場所から目的地に行く方法です。
紀伊の守の屋敷は、わざと田舎風に柴垣などが作られて、とても風流にできていました。涼しい風が吹き、ホタルも飛んでいるという美しい庭園がありました。
源氏は、紀伊の守の妹は、気位が高い女性だと聞いていたので、それにも興味がありました。どの部屋にいるのかと、あちらこちらの部屋の様子をうかがってみると、女性たちの小声が聞こえてきました。彼女たちは、源氏の噂をしているらしいと分かって、源氏はハッとして、その場を退散しました。
紀伊の守が、源氏の所に来て、父親の後妻の話をしました。不運な女性だということなのですが、息子の紀伊の守は、父親のことを、「いい年をして、みっともない」と話しています。
皆が寝静まった後、源氏は後妻に入った女性のことが、気になって仕方がありませんでした。彼女の部屋まで近づくと、弟の小君(こぎみ)と話をしているのが聞こえました。小君は、彼の名前ではなく、愛称として使っているようです。小さな男の子ですが、なかなかしっかりした性格の子どもです。
やがて、弟も自分の部屋に寝にいきました。しんと静まり返った頃に、源氏は、後妻のいる部屋に忍び込んでいきました。そして、彼女の顔を覆った着物をどけると、女性は驚いてしまいました。
彼女は、「人まちがいでしょう?」と言いましたが、源氏は、「いいえ、人まちがいではありません」と口説き始めました。源氏は、彼女を片手で抱き上げ、別の部屋に運びました。しかし、女性は、源氏のなすがままになるのを拒絶しました。
しかし、源氏は、「このまま別れたら、後悔するだろう」と勝手な思い込みをしました。彼女は、こんな有様を夫が、伊予の国で、こんなことが起きている夢などを見るのではないかと極度に心配になってしまいました。
夜も開けて、源氏はあきらめて、退散することにしました。そして、家に帰ってからも、彼女のことが忘れられませんでした。なんとか、彼女を繋ぎとめたいと思い、紀伊の守に、彼女の弟の小君を引き取る話をしました。その子を引き取ると、源氏は彼の姉の事を詳しく尋ねました。
源氏は、小君に手紙を持たせました。彼女は源氏の手紙を受け取ると、読んではみましたが、心は苦しくなるばかりでした。翌日、小君は、手紙の返事をもらおうと、彼女に言いましたが、「あのような手紙を受け取るべき者ではありませんと申し上げなさい」と弟に言いました。
何も返事をよこさない彼女に、源氏はまた手紙を書きました。そして、小君に言いました。「私は、彼女が後妻に入る前から、恋人だったのだよ」と言いました。そんな話は、でたらめでしたが、小君は信じてしまいました。
源氏は、空蝉のことが忘れられず、小君に彼女と会うチャンスを作って欲しいと言いました。そのうち、紀伊の守が任地に行くということになり、屋敷には、彼女たちだけが残ることになりました。
源氏は、今がチャンスだと思い、紀伊の守の屋敷に向かいました。屋敷に着くと、空蝉と彼女の娘が、部屋で碁を打っているということを小君が聞いてきました。
そして、紀伊の守の屋敷に行き、夜の更けるのを待ちました。小君は源氏を空蝉の寝ている部屋に案内しました。源氏は、気づかれないように部屋に入っていきました。しかし、空蝉は源氏の気配を感じ取って、そっと部屋を抜け出してしまいました。
女性の寝ているのを確認すると、空蝉ではなく別人であることが分かりましたが、そのまま抜け出すのは、悔しい思いがしてきました。しかし、源氏は、この娘は、伊予介の先妻の娘の「軒端の萩」に違いないと思い、「それなら、それでも、かまわない」という浮気心を起こします。
そして、源氏は、「軒端の萩」に対し、「たびたび方違えをして、この家を選んだのは、あなたに接近したいためだった」と告げました。そうして、源氏は、その別の女性と関係を結んでしまいました。
しかし、悔しい思いは消えませんでした。源氏は、小君に、「姉さんは、よほど私を嫌いらしい、そんな嫌われ方をする自分が嫌になった」などと、小君を相手に、恨みがましいことを言いました。
「帚木」(ははきぎ)の帖では、源氏は、本来ならば、意気揚々と「空蝉」(うつせみ)の心をつかんで、得意になるところが、交際を断られて、がっくりとしてしまいました。
源氏の失敗談を最初に描くことによって、若い源氏の成長を描いていく、紫式部の巧みなストーリーの面白さを感じます。
この「帚木」(ははきぎ)という題名も、よくできた題名だと思います。「帚木」(ははきぎ)とは、信濃の国(ながのけん)に残る伝説上の植物です。遠くから見ると、箒(ほうき)を立てたような形をしているそうです。しかし、近づくと見えなくなってしまうという不思議な植物なのです。
「空蝉」(うつせみ)は紫式部の自画像に最も近いとされるヒロインで、物語は彼女が再度の逢瀬を拒否して閉じられる瞬間を描いています。彼女はなびきやすいように見えますが、実際に近づくとすり抜けるように去って行く存在です。
紫式部は、「空蝉」(うつせみ)をこの不思議な帚木(ははきぎ)になぞらえて、源氏の恋路に惑う切ない胸中を訴えています。「空蝉」は、セミの抜け殻を意味しています。はかない人生や人間の存在を表しています。
また、人間が生きることに絶望し、意欲を失ってしまうと、魂が抜けたようになります。その時、その人の姿は、抜け殻のように透き通って見えてしまうということがあります。
あの人は影が薄いとか、オーラが見えないとかいう時は、そういう状態に近いのかもしれません。幽霊は、完全に魂の状態ですが、それに近い状態の時は、人間は「空蝉」のように透き通って見えてしまうのです。
一方、「空蝉」(うつせみ)も光源氏の愛を受け入れられない自らの悲しい定めを、「帚木」(ははきぎ)と重ね合わせています。
「空蝉」(うつせみ)の心情は、受領の妻にはならず、実家で気楽にいられるような身分であれば、源氏のことも楽しみに待つことにもなるだろうけれども、妻という立場であるならば、情け知らずと思われてもしかたがない。このまま恨まれてもかまわない。そんな気持ちを源氏はわかるだろうか。いやわからないだろうという気持ちでいたのです。
しかし、光源氏はエリートで、しかもハンサムで、まぶしいくらいの存在です。そのような男性と恋愛することは、女性にとって夢のようなことに思えますが、やはり、浮気の相手では、嫁いだ先の夫が留守とは言えできないことです。
源氏は、彼女を引き取ることも可能かもしれませんが、彼女の夫は伊予介(いよのすけ)という低い官職ではありましたが、彼女にはプライドもありました。
もともと、空蝉は天皇の妃になる可能性があったのです。彼女の父親が亡くなってしまったので、そういう華やかな世界から、ずっと離れて伊予介(いよのすけ)の後妻になったのです。彼女からすれば、本当に情けない人生のように思われ、源氏の熱い思いにも素直に応じられないという気持ちが分るような気がします。
空蝉の帖を読んでいましたら、私の若い頃の同僚の「ウスバカゲロウ」というあだ名がついた男性のことを思い出しました。
私の若いころ、横浜から東京に職場が変わりました。同僚と言っても私よりも10歳以上、年上の男性でしたが、社内では目立った働きがなかったのか、出世もせず、業務関係の仕事を黙々とやっているタイプの人でした。彼は、昼間は本当に目立たない存在でした。ウスバカゲロウというあだ名も彼の目立たない性格を表していたのでしょう。
「ウスバカゲロウ」は、昆虫の一種です。トンボのような形をしていますが、飛ぶときには、羽をばたつかせて、Xのような形に見えます。トンボのように速くなく、バタバタと遅く、ヨタヨタとした印象があります。外見に似ず、貪欲に他の昆虫を食べます。体が透き通っているので、はかない感じのする昆虫です。
ある金曜日の夕方、私は部長に呼ばれ、「今夜は空いているか?」と聞かれ、「残業があります」と答えますと、「残業の後は?」と聞きますので、「家に帰ります」と答えました。「なんだ、何も予定がないのか?」と言われ、ムッときましたが、「はい、そうです」と答えました。
「それなら、飲みに行くかい?」と言うので、それはありがたい話だと思い、「はい、お供致します」と答えました。すると、部長は、ウスバカゲロウも連れて行くから、君から話しておいてくれと言うので、ウスバカゲロウさんに、声を掛けました。彼は、ウンとうなずいて、黙って仕事をしておりました。
夜も8時を過ぎて、部長が「さあ、出かけよう」と声をかけました。ウスバカゲロウさんは、無言でうなずくと、更衣室に向かいました。それから5分後に、彼は、白の上下のスーツに、ヒールが高い白いエナメル靴をはいていました。私はそれを見て、「アッと驚く、タメゴロー」(古いギャグです)となりましたが、3人で、料亭に行き、美味しい和食を食べ、日本酒を飲みました。
さて、次は銀座のナイトクラブとなるのですが、ウスバカゲロウさんは、昼間とは違い、キラキラしています。とあるナイトクラブに入ると、ウスバカゲロウさんは、大モテです。私が驚いていると、部長が「もっと驚くから見ていなさい」というのです。
彼は、美人のホステスさんと、ダンスを始めました。生バンドが繰り出すマンボ、ジルバ、ルンバ、チャチャチャに合わせて、ウスバカゲロウさんは、何でも踊ります。彼は、燦然と輝いていました。ホステスさん、その頃は、「夜の蝶」とも言われ、もてはやされたものです。ウスバカゲロウさんと、夜の蝶のコラボレーションは、華やかなステージをなお一層、引き立てていました。
更に、ウスバカゲロウさんは、見事なステップを披露してくれました。サタデーナイト・フィーバーのジョン・トラボルタを見るような感動を覚えました。
人は見かけによらないものです。普段は全く目立たない存在でも、「ここ一番」という場面で、ものすごい実力を発揮する人物がいるという衝撃を私は受けました。
源氏物語の「空蝉」は、世の中の影にひっそりと生きていきたいと思っている女性の姿でしたが、「実は!」と言うようなエピソードがあったら、面白いのではないかと思いましたが、紫式部は、誠実に「空蝉」と呼ばれる女性を描いています。
「空蝉」は、源氏物語では、「関谷」の帖で再度、出てきます。そこでは、空蝉が夫を亡くした後、出家し尼となります。源氏は尼となった彼女に手紙を送ります。源氏は、彼女を二条東院に迎え住まわせることにしました。その当時、源氏の年齢は29歳ぐらいとされていますので、空蝉と出会ってから10年以上たっていましたが、源氏は彼女のことを忘れていませんでした。
▼多聞先生の前回の記事はこちら▼ ▼多聞先生のインタビューはこちら▼
参考画像:Murasaki Shikibu composing Genji Monogatari (Tale of Genji) by Tosa Mitsuoki (1617-1691).
光源氏の夫婦関係
参考画像:Aoi no Ue (the ghost of Lady Rokujo) from the Hokusai Manga
雨夜の品定め
参考画像:横浜・山下公園のインド水塔 by ootahara is licensed under CC0
「空蝉」(うつせみ)との偶然の出会い
空蝉の帖
「帚木」(ははきぎ)という植物と題名
空蝉の男性版・ウスバカゲロウ
紫式部と光る君の藤原道長
「多聞先生」ってどんな人?電話占い絆所属の占い師に直接インタビュー!
このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。
多聞先生たもん
鑑定歴 | 20年以上 |
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得意な占術 | 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占 |
実績 | 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。 抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。 タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。 2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。 |
得意な相談内容 | 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢 |
多聞先生よりご挨拶
コラムを最後までご覧頂き有難うございます。
「源氏物語の帚木・空蝉の帖の笑訳」は、如何でしたでしょうか。
世の中の影にひっそりと生きようとしている「空蝉」は、悲しい運命をじっとこらえて生きていました。源氏は、そのような女性に惹かれ、恋い慕いますが、結局、振られてしまいました。彼女の心の中は、源氏を受け入れたいとする思いと、拒絶する思いの葛藤で渦巻いていました。
人生は紆余曲折、順風満帆とはいかないのが、悩みの種ではないでしょうか。思ったようにいかない、なにかと苦難が付きまとい、なかなか幸せに至ることが少ない世の中ですが、そのような状況でも、少しでも未来に明るい希望を持っていただけるように絆は努めてまいります。
是非、絆にお電話をおかけ下さいませ。
お客様から頂いた口コミ
女性30代
初めて鑑定して頂きました。
ポイント不足で途中で電話が切れてしまい、申し訳ありませんでした。
関係の進展を悩んでる彼について、見て頂きましたが、非常に分かりやすかったです。
彼の行動傾向の理由など、なるほど!と思える所が沢山ありました。私も自分の事に集中しながら、彼が落ち着くのを待ってみようと思います。本日は本当にありがとうございました!