源氏物語・夕顔の笑訳
執筆した占い師:多聞先生
更新日:2024年5月7日
皆様、こんにちは。多聞でございます。
今回は、前回に引き続き、紫式部の「源氏物語」の中の「夕顔」(ゆうがお)の帖について、お話をしたいと思っております。
この「夕顔」(ゆうがお)の帖では、源氏が乳母のお見舞いに行き、彼女の屋敷の隣に住む謎の女性を何とか口説いたお話しです。源氏の積極的なアプローチが成功し、ようやく二人きりの生活ができそうでしたが、その晩、源氏の年上の愛人の生霊が出てきて、彼女の命を奪ってしまいます。
恋愛物語には、悲劇がともないますが、今回の悲劇は、結局のところ、源氏に原因があったようです。源氏は、夕顔の死によって何を考えたでしょうか。
「夕顔」(ゆうがお)との出会い
「夕顔」(ゆうがお)の帖も、物語としては短いものですが、たくさんのエピソードが、書かれています。
夕顔の咲く屋敷に女性が住んでいることを発見
源氏の年齢は、前回に引き続き、17歳ぐらいです。源氏は彼の乳母が病気になったと聞き、お見舞いをしようと思い立ちました。
乳母の屋敷は五条のあたりにあるので、牛車でいくことにしました。平安時代に牛車に乗れるのは身分の高い人だけです。現代で言えば、豪華な外車のリムジンカーのようなものでしょう。
牛車は、もともとは中国から伝わったものです。西洋の馬車に比べると速度は遅いですが、かなり重い物でも運べるという長所があります。平安時代には、使用者の権威などを示す乗り物として、豪華な造りの牛車が用いられたようです。光源氏の牛車を想像すると、豪華な装飾が施された牛車が目に浮かぶようです。
参考画像:土佐光起『源氏物語絵巻』四十二帖「匂宮」、バーク・コレクション
乳母の屋敷に着くと、大門が閉まっていました。源氏は、牛車ごと入りたいと思い、大門を開けさせるために、従者に乳母の息子の惟光(これみつ)を呼びに行かせました。
ふと周りを見ると、惟光の屋敷の隣に簡素な屋敷がありました。中を見ると綺麗な女官たちが数人、外を眺めています。源氏は誰の屋敷だろうかと思いながら、その屋敷を眺めていました。
きっと美人が住んでいるという予感
その屋敷の庭には白い花が咲いていました。とても美しいので、「あれは何の花だろう」とつぶやいていると、近衛の侍が、「あの白い花は、さびれた屋敷などに咲く夕顔と申します」と答えました。
源氏の心は、夕顔の花を口実にして、その屋敷に住んでいる女性たちが、何者なのか、調べてみようという気持ちになりました。
源氏は、早速、従者を呼び、「お隣の屋敷に言って、見事に咲いた綺麗な夕顔の花を一本もらいたいと、頼みに行ってきなさい」と言いつけました。
源氏は、「綺麗な花だけれども、寂しそうな運命の花のようだね」とつぶやきました。あたかも、その言葉は、その屋敷に住む女性の運命の予感のようなものだったかもしれません。
従者が、その屋敷に入り、白い花を一本欲しいと言うと、愛らしい童女が出てきて、白い扇を出して、「これにお花を載せてあげてください」と言います。従者は、夕顔の花を載せた扇を受け取り、惟光に渡し、源氏は、惟光から夕顔の花を受け取りました。そして、大門の扉を開け、牛車は中に入っていきました。
夕顔の花言葉
夕顔の花言葉は、「はかない恋」とか、「夜の思い出」、「魅惑的な人」など、ロマンチックな意味があります。
その他の意味として、「罪」という意味もあり、源氏物語の「夕顔の帖」の内容を象徴しているかのような題名となっています。夕顔の花は一夜にして萎んでしまうので、その美しい姿と運命の儚さと登場する女性のイメージを夕顔の花に喩えているかのようです。
隣の屋敷の女性との歌のやり取り
さて、惟光の手配で、大門の戸が開かれ、源氏の乗った牛車が、惟光の屋敷に入っていきます。
屋敷の中では、乳母も起き上がり、源氏の来訪を喜びました。「もう私は死んでも良いのですが、この世に未練があるのは、あなた様にこうして会えるからでございます。こうやってお会いできれば、阿弥陀様のお迎えが、いつ来てもかまいません」と、源氏と乳母は、しみじみと再会を喜び、昔をなつかしんで涙を流しました。
幼くして母親を亡くし、身内の少ない源氏にとって、乳母は本当の母親のようにも思えます。源氏が、多くの女性を追いかけるのも、母親に対する憧れが強いせいかもしれません。
隣の屋敷から夕顔の花を載せた扇に歌が
さて、先ほどの夕顔を載せた扇をよく見ると、和歌が書いてありました。
「心あてに、それかとぞ見る、白露の光添へたる、夕顔の花」
(現代語訳:白露の夕顔の花に白露の光を添えるあなた様は、もしかして光源氏様ではありませんか?)
『夕顔 (源氏物語)』より夕顔を載せた扇に書かれていた和歌
源氏は、なかなかの出来栄えの歌だと感心し、興味をひかれました。この和歌を書いた人はどのような女性であろうかと興味津々です。
源氏は、惟光に、「お隣の女性はどなたなのか」と尋ねました。惟光は、そのような源氏の様子を見て、「やはり、光源氏様は、またしても好色癖が出てきたようだ」と思い、「詳しくは存じません」とそっけなく答えました。源氏は、惟光の内心を読みながら、「詳しいことを聞いてきてごらん」と命じました。
惟光は、その屋敷の番人に聞いて戻ってきました。「屋敷の主は、地方庁の役人で、主人は地方に出かけて留守にしているそうです」と言うと、源氏は、主人が留守とはありがたいことだと思い、ほくそ笑みました。
源氏も女性の歌に返事を送る》
惟光の話では、「この屋敷の細君は、風流が趣味で、宮中の女房をしている姉妹たちが、よく来るそうです」と言いますので、源氏は、「なるほど、それで歌を書き、からかい半分、こちらの反応を見ようと言うのだな」と源氏は、ふところから、紙を出して、返歌をすることにしました。源氏は、いよいよ作戦開始、次の手は、誘惑作戦です。
「寄りてこそ、それかとも見め、黄昏に、ほのぼの見つる、花の夕顔」
(現代語訳:もっと近づいて、はっきり見たらどうですか?黄昏時にほのかに見える夕顔の花を)
『夕顔 (源氏物語)』源氏が書いた返歌
意訳をすれば、「もっとそばにおいでなさい、私もあなたをもっとよく見たいから」というような源氏の誘いの言葉です。
源氏は、従者の者に手紙を渡して、隣の屋敷に届けさせました。従者は手紙を受け取ると、さっさと屋敷に入り、隣の屋敷の誰かに渡して、すぐに帰ってきました。
本当は、彼女から再度返歌が欲しいところですが、従者には源氏の心までは読み取れなかったようです。源氏は、余裕たっぷりに見せようと、あえて「返歌をもらって来い」とは言いませんでした。
惟光の特選・直撃情報
源氏の心を理解する惟光は、隣の屋敷の住人が何者なのか、調べていました。さすが、源氏をよく知る惟光です。あたかも惟光が、隣の屋敷の女性に興味を持っているかのような素振りを見せて、詳しい情報を集めました。とても気が付くタイプの男性であることが示されています。
幾日かして、また乳母の屋敷を尋ねると、惟光が、隣の屋敷の情報を源氏に伝えました。惟光は、屋敷の中にいる謎の女性に手紙などを頻繁に送り、情報を収集して正体を突き止めようとしました。
源氏は、惟光の行動を「よくやった」と褒めました。紫式部は、源氏の好色な性格を、上品に描いているように思えます。
惟光は、現代で言えば、芸能リポーターのような働きをしたのではないでしょうか。
テレビのワイドショーなどでも、かつて、有名な芸能専門の情報記者さんが登場して、話題の人物を直撃したり、いろいろ裏情報を取ったりして、視聴者の興味をそそるという企画がありました。代表的な人に、福岡翼さんがいます。
1940年に高知県で生まれ、高校卒業後に早稲田速記学校を卒業し、小学館に就職し、「女性セブン」などの編集に携わりました。テレビ関係では、TBS(モーニングジャンボ)、フジ(3時のあなた)、テレビ朝日(新やじうまワイド)など、その他にもレギュラー出演していました。
毎回、新しい情報を誰よりも早くリポートするので、それだけで、視聴者の人々は、テレビ画面にくぎ付けになりました。
源氏は、惟光からの報告を聞いて、ますます興味が湧いてきました。雨夜の品定めで、「家は下の下に属するものと品定めの人たちに言われるはずの所でも、そんな所から意外な趣のある女を見つけ出すことがあれば、楽しい事だ」と源氏は思いました。
諺にも、「掃きだめの鶴」という言葉があるように、誰も気が付かないような場所で、美しい女性がいることを「掃きだめの鶴」と言います。源氏は、そのような「掘り出し物」を探すのに意欲を持っていました。
夕顔の帖での源氏は、17歳にしては、あきれるくらい大人びたものの考え方や、もの好きとも思えるような男性に成長しています。
またしても頭中将と対決か
惟光のさらなる探索の結果、この屋敷の女主人に会いに来ているのが、頭中将らしいということを聞きつけました。それが本当ならば、「頭中将が言っていた常夏の歌の女ではないか」と思いました。そうだとすれば、競争心が、ムラムラと湧き、何としても攻略しなければならないと決心したようです。
源氏も惟光も、お互いに好色者であり、二人は、女主人が誰であるのか、確かめようと作戦を考えました。そのため、源氏は、身分を隠すために普段は着ない狩衣などを着て、牛車を使わず、馬に乗り、惟光も徒歩で従者を装って、女の屋敷を訪ねることにしました。
「夕顔」を誘惑、二人の生活を始めようとする源氏
源氏は、彼女に会うたびにますます好きになり、「私は、あなたを気楽な家に連れて行って、夫婦生活がしたい」などと言って口説きました。現代の女性がこんな言葉を聞けば、「まったく、歯が浮くようなセリフだわ」とすぐに、源氏の魂胆を見破ってしまうでしょう。でも、平安時代の女性は、源氏の夢のような甘い言葉に、騙されてしまったのかもしれません。
源氏には、正妻がいるのですが、他の女性を口説くのに熱心です。彼は身分も高く、経済的な余裕もあり、豪華な別邸もありました。そこに浮気の相手を連れて行くという贅沢なことができます。源氏には罪の意識がありません。頭中将とのライバル意識の方が強く、どちらが熱烈な恋を体験しているか、という競争心のために、源氏は、正妻の存在さえも忘れてしまうのでした。
現代の若い女性たちにとっても、もしアラブの石油王の王子から、口説かれれば、身分も高く、憧れの男性として見えることもあるかもしれません。王子だけではなく、アラブの一般国民でさえ、月収が200万円を超える人たちがぞろぞろいます。彼らは、白い民族衣装を身にまとい、頭には白いベールのような絹の被り物をして、金の輪のようなもので、頭に留めています。昔、「アラビアのロレンス」という映画がありましたが、主人公ロレンスが同じような衣装を身に着けていました。
アラブの大富豪であれば、一夫多妻というお国柄ですが、日本は大富豪ではありませんが、最近の若い人たちも、自由に恋愛を楽しんでいるように見えます。そのせいか最近は恋愛関係にはなっても、いきなり結婚するというのではなく、同棲生活をするカップルも多いようです。
同棲関係のメリット
- 一緒にいる時間が増える同棲を通じて、日常の生活を共有し、相手の価値観や生活のリズムを理解できます。
- 貯金がしやすい同棲することで、生活費を共同で支払うことができれば節約ができます。
- お互いの家事の負担が軽くなる一緒に住むことで家事を分担し、効率よく生活ができます。
- 結婚後の生活をイメージできる同棲を通じて、結婚後の生活をリアルに体験できます。
同棲のデメリット
- 結婚のきっかけがつかめずダラダラとしてしまう。
- お金の管理や家事の分担でもめることがあります。
- 同棲してから、相手の悪いところが目立ってくることも出てきます。
生霊の出現、驚愕の一夜が明けて、夕顔の死
さて、源氏は夕顔を口説こうと、夕顔の屋敷に泊まり込みました。時は、8月の15夜という明るい夜のことでした。
夕顔の暮らす屋敷は、隙間だらけの板屋根から、月の光が差し込んで、部屋の中の物が良く見えるほどでした。夜明けに近い時刻なった時、源氏は、ふと目が覚めて、近所の家々で貧しい男たちが、大きな声で話しているのがよく聞こえました。
「ああ、寒い。今年も商売がうまくいきそうもない。地方に行ったって、どうにもならないだろう」というような事を話しているのが、聞こえました。
源氏は、夕顔を帝の別邸へ連れていきます
源氏は、そのような騒音を気にするような素振りも見せませんでした。夕顔も高貴な女性を思わせるような上品な性格なので、近所の騒音も恥ずかしいというような素振りを見せませんでした。
源氏は、夕顔に向かって、「さあ、出かけましょう」と言うと、夕顔は、「どうして、そんなことをおっしゃるのですか」と聞き返しました。
そして、源氏は夕顔を牛車に乗せると、五条に近い帝室の後院である屋敷に連れていきました。豪華な屋敷に夕顔は緊張した様子でしたが、源氏は夕顔に深い愛情をもっていることを訴えました。なんとか気持ちをほぐそうと話しかけますが、夕顔は恥ずかしがって、源氏に甘えることもしませんでした。
美しき女性の生霊の出現
さて、その夜のことでした。源氏はうとうとと寝入ったかと思うと、枕元に美しい女性が座っているのが見えました。実は、この女性は、源氏の年上の愛人の生霊だったのです。名前は、六条の御息所(みやすどころ)です。
参考画像:上村松園『焔』(東京国立博物館所蔵)
その女性は、「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらして、愛撫なさるのは、あまりにひどい。恨めしい方」と言って、夕顔を起こそうとするのです。
源氏は驚いて、すぐに飛び起き、太刀を抜きました。そして、夕顔の侍女の右近を起こして、蠟燭の灯りをつけるように命じました。しかし、右近は怖がって動けませんでした。源氏は、しかたなく、手をたたきましたが、気味悪く響いて、誰もくる様子はありませんでした。
源氏は、部屋を出て、「誰かいないか」と呼びました。源氏の従者などが起きてきて、源氏のもとに集まりました。
「蝋燭をつけて参れ。随身に弓のつる打ち(魔よけ)をして、声を出して魔性に備えるように」と命じました。
夕顔は生霊に生命を抜かれてしまいました
部屋にもどると、夕顔は寝ていましたが、息をしていませんでした。源氏は夕顔を抱き上げて、「生きてください」と呼びかけましたが、夕顔の体はすでに冷たくなってしまいました。
源氏は、従者に惟光を呼ぶように言いつけました。しばらくして、惟光は源氏のところに来ました。源氏は、悲しみをこらえながら惟光に事情を話しました。ある女性の生霊が出てきて、夕顔の命を奪って行ったと言うと、惟光もすぐには信じられず、夕顔は以前から体の具合が悪かったのではないかと疑いました。
源氏と惟光は、どのように処置したらよいか考えました。何とか秘密裏に処理しないと大変なことになると考え、惟光は昔の知り合いの尼がいる山寺に夕顔を運ぼうと決めました。牛車に夕顔を運び込みました。惟光は、牛車を山寺に運び、そして、源氏は惟光の馬で二条の院へ戻ることにしました。
その日の夕方、惟光が二条の院に戻ってきました。夕顔の葬儀まで決めてきたと聞き、源氏は、また悲しくなってきました。
ところで、「生霊」(いきりょう)をご存じでしょうか。平安時代の物語に「今昔物語」がありますが、その中には、「生霊」の話が出てきます。
科学の無い時代ですので、当時の人たちは、何か怖ろしい事件が起きると、「生霊」や「怨霊」、或いは「鬼」の災いとして、当時の宮中の役人でさえ、事件の原因として認めていました。
参考画像:鈴鹿本(鎌倉中期写) by 岩波書店 (Iwanami Shoten) – 日本古典文学大系第25巻附録 is licensed under CC0
菅原道真の怨霊
怨霊の筆頭に挙げられるのは、おそらく菅原道真でしょう。菅原道真は学問の神様として有名ですが、政治の闘争に巻き込まれ、大宰府に流され、その地で亡くなりました。
901年、醍醐天皇に藤原時平が讒言しました。醍醐天皇は、藤原時平の言葉を信じて、菅原道真を大宰府に流罪としました。その2年後に、菅原道真は亡くなってしまいました。
その後、ある晩のことでした。比叡山の天台座主である尊意(そんい)のもとに菅原道真の霊が現れました
参考画像:Drawing of Sugawara no Michizane.
「私は菅原道真であるが、我が恨みをはらし、復讐するために、梵天(ぼんてん)と帝釈天(たいしゃくてん)の許しを得ることができた。従って、帝から私の霊を追い払うようなことをすれば、祟りがあるだろう」と言いました。
その結果、菅原道真の怨霊は、自分を左遷に追い込んだ人々の命をことごとく奪っていくのでした。
菅原道真の怨霊が命を奪ったとされる人々
- 906年、藤原定国(さだくに)が死去しました。彼は菅原道真の左遷のきっかけを作りました。
- 908年、藤原菅根(すがね)が雷に打たれて死亡しました。
- 909年、主謀者の藤原時平が、死亡しました。
- 913年、源光(みなもとのひかる)が、狩りの最中に、馬ごと沼にはまって死亡しました。
- 923年、醍醐天皇の皇子である保明親王(やすあきらしんのう)が死亡しました。
- 925年、保明親王の息子の慶頼(よしより)王が亡くなりました。
- 930年、御所の清涼殿に雷が落ち、藤原清貫(きよつら)が死亡しました。
この事態に驚いた醍醐天皇は、菅原道真を右大臣に戻し、正二位に昇進させましたが、菅原道真が亡くなった後では、効果がありませんでした。
怨霊の手は、終に醍醐天皇にも及び、体調を崩してしまいました。醍醐天皇は、寛明親王(ゆたあきらしんのう)に譲位しましたが、7日後に亡くなってしまいました。
それでも菅原道真の怨念は晴れず、嵐や洪水、そして都では疫病が流行りました。
太宰府天満宮
菅原道真を祀った神社が、太宰府天満宮です。都に起きる数々の異変を鎮めるために、菅原道真の遺骸を埋めた場所に、919年に神社を建てました。それでも、「道真の祟り」は収まりませんでした。
そして、本来は天皇や皇族を祀る神社に送られる「天満宮」という呼称も付けられました。道真が学問に優れていたことから、「学問の神様」として、信仰を集めるようになりました。
光源氏の反省
夕顔を亡くした源氏は、深く反省しました。源氏は、惟光に、「これは、運命に違いない。軽率な恋愛漁りなどするから、人を死なせてしまった」と自分を責めているので、惟光は、「ご安心ください。山の坊さんには別の話をしておきました」と言います。
源氏は、「もう一目で良いから、遺骸を見たい」と言い出しました。惟光は、「とんでもございません」と断りたかったのですが、源氏を止めることはできませんでした。
源氏は、狩衣などを着て変装し、馬に乗って山寺に行きました。惟光も源氏に同行しました。
山寺に着くと、遺骸のそばで、侍女の右近が泣いており、2、3人の僧侶が読経を続けていました。源氏は、夕顔の顔を覗き込みました。源氏は遺骸に話しかけました。「もう一度、声をきかせておくれ。わずかな間の関係ではあったけれども、私はあなたを愛していたのだよ」と泣きながら訴えました。
源氏は、夕顔の侍女の右近に、「あなたは、私といっしょに二条の院へ来るように、もとの屋敷に戻ってはいけません」と言って、世間にこの事件が知れて、大騒ぎになるのを防ごうとしました。幸い、右近も元の屋敷に戻り、ことの顛末を語る気にもなれないと言うので、源氏とともに二条の院に行くことになりました。
帰りの途中で、源氏は悲しみのあまり落馬してしまいました。ようやく、惟光の助けを借りて、二条の院に着きました。しかし、源氏は病を発し、寝込んでしまいました。
帝も左大臣も源氏の容態を心配して、祈祷などの手配を惜しまずしてくれました。ようやく、二十日余りで回復し、源氏は帝に会いに行きました。
病気のために、源氏は少し痩せて、頬なども膨らみを失ってしまいましたが、それが源氏の容貌に、怪しい美しさを添えていたので、「物の怪」(もののけ)でも憑いているのではないかと噂されました。
源氏は、夕顔の四十九日の法要を比叡山で行いました。上流の家の法要と思えるほどの支度を整えさせました。法要は、惟光の兄の阿闍梨(あじゃり)にしてもらいました。
源氏は、四十九日までは、霊魂がこの世にさまようと聞いて、毎日、「般若心経」を必ず唱えて、夕顔の霊魂を慰めるようにしました。
夕顔の生い立ちと素性
源氏は、右近から夕顔の詳しいことを聞き出しました。
右近の話によると、夕顔の両親は早くに亡くなり、夫は三位中将という官位を持っていました。彼は夕顔を愛していました。
その後、夫も亡くなってしまいました。その後、頭中将が少将でしたが、夕顔のもとに通ってくるようになりました。3年間ほど頭中将は通っていましたが、頭中将の妻の右大臣の父親から、脅かされて通うのをやめてしまいました。
源氏は、自分の想像した通りだと思い満足しました。以前、頭中将から聞いた話では、小さな女の子がいたはずだと、右近に尋ねました。
右近は、「さようでございます」と言うではありませんか。源氏は、その女の子を引き取りたいと思い、右近に女の子の所在を探すように頼みました。
この女の子は、玉鬘という名で、再び登場します。夕顔の死から18年、玉鬘は、九州で乳母によって育てられ、20歳を過ぎるまでに成長します。
その美しさは、夕顔をしのぎ、求婚者は後を絶たないという状況で、玉鬘を育てた乳母は、京に戻ることにしました。偶然、右近は、乳母と玉鬘に遭遇し、源氏に報告しました。
その後の展開は、22帖の「玉鬘」で、お話し致します。
▼多聞先生の前回の記事はこちら▼
源氏物語・帚木・空蝉の笑訳
▼多聞先生のインタビューはこちら▼
「多聞先生」ってどんな人?電話占い絆所属の占い師に直接インタビュー!
このコラム記事を書いたのは、「電話占い絆~kizuna~」占い鑑定士の多聞先生です。
多聞先生たもん
鑑定歴 | 20年以上 |
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得意な占術 | 霊感、霊視、前世占い、タロット占い、易占 |
実績 | 余命が1年と診断された女性を占ったことがあります。病名は癌ということで、彼女も諦めてはいるものの「どうして私がこのような運命なのか」という心残りの思いが消えない、悲しい思いで胸が張り裂けそうだというご相談を受けました。 抗ガン治療も続けておられましたが、診断をもらった以上、どんな効果があるのかご自分でも確信が持てず、憂鬱な毎日をすごされておられました。 タロット占いでのカードは、「ソードの9」というカードでした。現在は苦しみの日々ですが、居場所を変えれば良くなるというメッセージでもありますので、病院を変えてセカンド・オピニオンを聞いてみたらどうかとお勧めしました。 2か月後、お電話を再び頂き、新しい病院で、経過も良く希望が持てるようになったということでした。この時は、私ももらい泣きをしてしまいました。 |
得意な相談内容 | 恋愛、出会い、相性、浮気、結婚、不倫、離婚、復縁、三角関係、仕事、転職、適職、対人関係、運勢 |
多聞先生よりご挨拶
コラムを最後までご覧頂き有難うございます。
「源氏物語の夕顔の帖の笑訳」は、如何でしたでしょうか。
源氏は、乳母の見舞いに出かけました。乳母は、息子の惟光の屋敷に住んでいました。屋敷に着くと、偶然、源氏は、となりの屋敷に美しい女性が住んでいるのを発見しました。歌のやり取りをしながら、だんだんと親しくなり、その屋敷に通うようになりました。
源氏は、帝の別邸に彼女を連れ出し、そこに住まわせようとしましたが、その晩、生霊によって命を奪われてしまいました。源氏は愛する人を生霊に殺され、悲しみのどん底に突き落とされてしまいました。夕顔の儚い命を思い、悲しみにくれる源氏は、噂に聞いた夕顔の娘を探したいと思い、右近にそれを託しました。その物語も、22帖の「玉鬘」に出てきます。どの帖でも、後編に続く展開を持っており、読者の興味を引き付ける魅力は壮大なものに感じます。
人生は紆余曲折、順風満帆とはいかないのが、悩みの種ではないでしょうか。思ったようにいかない、なにかと苦難が付きまとい、なかなか幸せに至ることが少ない世の中ですが、そのような状況でも、少しでも未来に明るい希望を持っていただけるように絆は努めてまいります。
是非、絆にお電話をおかけ下さいませ。
多聞
お客様から頂いた口コミ
女性50代
初めて鑑定して頂きましたが、とても温かく穏やかな先生でした。復縁について視て頂きましたが、詳しく丁寧に教えて下さり、またこれからの流れを具体的に教えて頂きました。
そんなことまで視えていらっしゃるのかと驚きました。復縁は諦めようかと思っていましたが、諦める必要は全く無いと言って頂き、頑張る勇気を頂きました。また視ていただきたいです。本当に有難うございました。